2016年11月アーカイブ

尿酸値履歴

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まとめて記したことが無かったので。
今はアロシトール(アロプリノール)を飲んでいます。朝晩に1錠(100mg)ずつ。

西暦 尿酸値(mg/dL)
1995 7.7
1996 9.7(体重は75.0kgで最大値)
1997 7.9
1998 8.9
1999 9.3(約1か月後の再検査で9.8)
2000 8.9
2001 8.4
2002 8.4(体重は66.2kgで最小値)
2003 9.1(その後初発作)
2004 7.7
2005 7.5
2006 8.3
2007 8.3
2008 8.6
2009 8.8
2010 8.5
2011 8.6
2012 8.5(この後から服薬開始)
2013 5.5
2014 5.1
2015 4.9
2016 5.3(体重は71.7kg)

発作は通算で4〜5回くらいありました。
なお、私の身長は176cm強です。

「文学史」を覚えることの不毛さ

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あんまりバンバン読めるわけでは無い、というか、そんな暇も無いのだが、俗に言う「文学史」に出てくるような作品を読む時がある。今は『阿Q正伝』を読んでいる。ま、つまらなくは無いのだが、同じ本に入っている(私が読んでるのは「光文社古典新訳文庫」ってヤツ)他の短編の方が面白いなぁ、と思う。

多分、時代背景的に、この『阿Q』は重要だったのだろう。

私はあまり「歴史」が好きではない。とは言え、「歴史の大雑把な流れ」については、それなりに把握しているつもりではある。大学受験に出るような「細かいところ」は、そんなに覚えていない。日本の歴史はある程度承知しているつもりである。例外的に中国の近現代史については、多少本を読んだりしてきた。
「あの時代」だったからこそ、『阿Q』は意味があるものだったのだろう。似たような「啓蒙的な物語」としては、日本での『蟹工船』や『防雪林』など、小林多喜二の作品が思い浮かぶ。まぁ、全体の明るさが全然違うけど。小林多喜二は暗い。

上海には魯迅公園という場所がある。魯迅の作品を読んだことが無い私は、何となく負い目があり、訪問を試みたことがなかった。先日、ボーッと職場の図書館を眺めていたら、上記文庫を発見した。そして手に取る。
いつか、魯迅公園も行ってみようと思う。
(2018/01/14追記 行きました)

で、本題である。
というか、表題で言い切ってしまってはいるのだけど。

私は、(社会科の一部である)歴史が嫌いだ。厳密に言うと「高校時代の歴史の授業は楽しくなかった」ということだ。担当してくださった教員の名前を出すのは控えておこう。あの「十数点しか取れなかったテスト」に単位をくださったわけでもあるし。高校時代に地理を教えてくれた海東先生は好きだった。授業も真面目に受けた。最後の共通一次、1989年の地理では92点を取った。海東先生が褒めてくれたことを覚えてる。私としては100点を目指していたのであるが。
歴史嫌いな私としては、国語における「文学史」なんて、やはりあまり興味が無いのである。とは言え、共通一次の国語で180点越えを成し遂げた私ではあるので、「仕方なく」ある程度の知識は蓄えたわけではあるけれど。

「文学史」というのは、国語という教科において、不要な分野では無かろうか。
蟹工船を読み、阿Q正伝を読めば、「確かに歴史的に重要でしょうな」とは思う。それらが「代表作」とされるのも、まぁ頷ける。でもそれが「テスト」に出された途端、劇的につまらなくなる。そもそも、受験生はそんなに大量の「文学作品」を読める時間を持っていない。ただ「書物名」を覚えるだけだ、多分ね。
それらの「文学史」についての知識をいくら蓄えたとしても、それをテストで再生しても、勉強としての「深み」や「得るところ」が無い、と思う。

東京都様

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例によって「どうでも良いようなコト」だけど「ひっかかるコト」を。

近年、企業が他の企業を「三人称」で表現する際、『様』をつけるという風習が見られる。私が小さい時は、そんな「気配り」は無かった気がする。「桂花ラーメン」は「桂花ラーメン」、「長寿庵」は「長寿庵」、「セブンイレブン」は「セブンイレブン」と、呼び捨てにしていたはずだ。「ローソンの角を曲がって20m」とか、「交番の角を入る」とか、公共の建物でも私企業でも、基本的に「呼び捨て」にしていたと思う。

いつの頃からか、それが「セブンイレブン様の角を曲がり」とか、「ファミリーマート様を過ぎ」なんてな感じで、「無駄に丁寧」な表記や略地図などを見ることが多くなった。

この間、とうとう「東京都様」という表記を発見した。すごーく違和感を感じた。こいつだ。
20161118.jpg

この場合などは特に「東京都の依頼により」って書けばいいだろうと思うのだ。
東京都も私企業も、ギブアンドテイクだ。基本的に対等なはず。こっちは東京都の都合で、手持ちの場所を貸してやってるわけだ。まぁ、賃料はもらっているのかも知れないけど、契約がなされたのだから、それはそれで全然問題ないはず。
そもそも、東京都という団体が運営できているのは、東京都民が住民税などを支払っているからだ。東京都なんて、全然偉くない。当然、日本国も偉くない。何で自民党の憲法案は「家族」のコトを話題にしているのだろう? 憲法がまず縛るべきなのは国の暴走だと学校で教わったよ。国民個人については、国が考える義務と権利の基本的なモノを示せば良いだろう。何で「家族」というモノについて、国から指図を受けなければならないのだ? ワケ分からない。その点に於いて、私は自民党(の憲法案)を支持しない。

という話はさておき、東京都だよ東京都。「東京都様」なんて、気持ちが悪いだろ。
で、試しにググってみた。結構な数の「東京都様」が見つかるのだ。ま、国と癒着しているような広告代理店とか、巨大企業なんかが「東京都様」というフレーズを用いるのは、まぁ気持ちが分からなくも無い。巨額の税金を還流してくれているのに「呼び捨て」にするのも気が咎めるのだろう。しかし、我々?「ヒラの国民」は、国や地方自治体に対しては、「偉そう」にしていて良いんじゃ無いかな? って思ったんだよね。この看板を見て。

大学時代、サークル「伸歩会」の後輩のお家に遊びに行った。というか、お家にお邪魔し、宴会した。およそ四半世紀前。
そこは、明治通り横の文房具店だった。2階が住居。

あんまり詳しく書くと、何となくマズい気もするので、少しぼやかして書く。そこは「JR亀戸駅北口を出て、明治通りの右側を進んだ先」ってトコロだ。住んでいたのはK田くん。

暇な大学生たち、つまり私たちが彼の家でスーパードライなどを飲んでいた。そのとき、地震が来た。
「うぉ!」

勝Tくんは平然としている。
「?? 揺れたスか?」

どうも、その地震は「明治通りを通過するダンプカー」が発したものらしかった。度々その揺れは私(たち)を襲うのだった。カツタくんは本当に気づいていない様子だった。
話がそこで終われば、「勝田君は鈍感だ」でおしまいである。


その夜、たまたま本物の地震が来た。
多分震度2程度だっただろう。
私は一応地震に驚いた。それ以上に驚いたのが、カツタがその地震に「反応」したことだった。
「地震だ!」と。


ヒトの脳というのは、面白いものだと、その晩改めて感じた。
私にしてみれば、「ダンプの揺れ」も「本物の地震」も、区別がつかなかった。
しかし、勝田君の脳は違っていたわけである。

みたいな話、この「腐れ日記」に記したつもりでいた。が、記してなかったみたい。


この体験談はここ数年、「地学基礎」の地震の授業の際に話している。そしたらば、今年になり「それって、勝田先生じゃ?」という生徒が居たのである。勝田という固有名詞を口にする前だった。
世間はある程度狭い、改めて思った。

ニホニウムすか。

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