煮込みと焼き鳥

これから記す件は、単なる「刷り込み」の類だと思う。

居酒屋で「(モツなどの)煮込み」や「冷奴」を注文する際、「人数分」を発注するという作法を持つ、或いは「1人ひとつ頼む?」と確認なさる方に出会う場合がある。

私は煮込みでも冷奴でも、他人がツツいた後に、自分の箸をつけるコト、それほど厭わない。ただし、箸をネブりまくるようなヒト、あるいはネブらずとも自分の箸で「共用」である器の中身をかき回しまくるようなヒトが居た場合は別だけど。
過去に一度だけ「何でこのヒトは、自分の箸で『皆の食べ物』を弄るんだ?」って、しみじみ見入ったコトがある。その方は女性の同僚だった。私よりふた回りくらい年上のはず。結局、その食べ物は、その方がほとんど食べていたように記憶してる。その食べ物が何だったかは忘れたものの、「食べたいけど、止めた」記憶が残ってる。そういった意味では、確かに「食べ物の恨みは恐ろしい」のだろう。

で、私は冷奴や煮込みは、人数分無くて構わない。自分がツマミを発注する場合、他のツマミと同様、数名に一皿の割合で頼む。ただ、誰かが「一人一皿」で発注してくれた場合は、ありがたくいただく。不味い冷奴や煮込みには、あまり出会ったこともない。この世の中、不味い煮込みは稀にあるかも知れないが、不味い冷奴は無いだろうと思う。

焼き鳥については、私は串から直接食べたいと思う。盛り合わせだったとしても、各人が早い者勝ちで、好きなヤツをひと串丸ごと食べればいいと思ってる。焼き鳥の醍醐味は「串から直接食べるコト」にあり、箸で身を外すコトは基本的にやらない。ただ、別に「ご自分のひと串」を手元でバラバラに分解するのは構わない。私はそんな「無作法」はやらないが。
焼き鳥盛り合わせが届くと、すぐさま分解してくださる方が時々いる。別に止めはしないし、頭にくるわけでもない。私は素直に「焼かれた小ぶりの鶏肉」を箸でつまむ。しかし、あれは何か味気ない。焼き鳥の「核心部分」が失われたような。

おまけに記すと、寿司を食べるのは箸でも手でもどっちでも良い。カウンターの前、客の目前で握ってくれるような店だと、なんとなく箸を使わない傾向があるかも知れない。

ここにあるのは2016年10月21日 21:57の日記です。

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