って本を読んだ。なかなか面白い。
説明はAmazonをご覧になると良いだろう。
「第62回 青少年読書感想文全国コンクール」の推薦図書になっていなければ、手に取ることは多分無かっただろう。
山中恒氏による「『青少年読書感想文全国コンクール』を糾弾する文」を見て以来、このコンクールは基本的に「白い目」で見てきた私である。でもまあ、彼の作品も「推薦図書」になったことあるんですね。良かった良かった。
このコンクールがあろうが無かろうが、「良い本は良い本」であるはずだ。また「良い本」というのは、人それぞれで違うものであるはずだろう。
しかし何はともあれ、とりあえず私は今回「青少年読書感想文全国コンクール」には感謝する次第である。別に「感想文」は書かないけど。感想文って、面倒くさいですわなぁ。でも、きっと「表彰されちゃうような名文」が、今年もきちんと「様々な大人の手」によって、仕上げられてくるのだろう。
この『Wonder』も、読み終わった時に、何か未来(というか今のこの世の中?)に期待しても良い気分になってくるような、そういう類の作品であった。確かに「予定調和的すぎる」気もする。最後の方のページを読んでてかなりそう感じたし、同じ事を書いてるAmazonのレビュアーも居た。
ま、でも何しろ、良い本であることは確かだろう。
今朝、私よりも少しだけ若そうな「大人」を見ていて、微笑ましくなったことがあった。
私は、徒歩や自転車で移動している場合、信号をきっちり守るということをしない。
もちろん、基本的には信号は守る。でも「赤信号を待っていても、目の前を通り過ぎる車両が無さそう」な時、私は赤信号を渡る。横断歩道の長さなどをきちんと確認しつつ。
例外的に、小学校就学前のような子供が赤信号で待っている場合、それに合わせることはある。その横に親が居ようが居まいが。
小学校高学年以上の人間が「青信号に変わる」のを待っていても、基本的に私は率先して赤信号を渡る。時は金なり。
で、今朝、最寄り駅に向かう私の10mくらい先に、中学生と思しき女の子が歩いていた。そして、普段私がいつも無視する赤信号で、彼女はきちんと立ち止まった。
私は「真面目だな」と思った。
そのうち、30代くらいに見えるオッサンが、横断歩道の反対からやってきた。
その横断歩道は「一方通行の出口」にあり、その「青信号」に従って進む車は、極々稀にしかやってこない。
が、その「オッサン」も信号を守り、立ち止まった。どう見ても「信号を守りそうなヒト」には見えなかったのだが、信号を守っていた。もしかすると「いつも、どんな時でも信号を守るヒト」なのかもしれない。そういう「ポリシー」を持っている人も、時々存在するようだ。でも、多分あのオッサンは「女の子が信号待っているから、俺も待っておくかな」って思い、信号を守ったのだ、多分。
偉いなー、微笑ましいなぁー。と思ったのだった。
私よりも「『守るべき子供』と認識する年齢の上限」が高いのだろう。
私がその信号にさしかかった時は、無事に色が青に変わっていた。赤のうちに私があの場に辿り着いていたら、私はどうしたのかなぁ...、って考えながら歩いていた。
ら、片側一車線の車道、右側をプラプラ歩いている兄さん、多分20代が居た。
ああいうのって、本当に邪魔なんですよね、特に車に乗っていると。「歩道があるんだから、歩道を歩けや!」って思う。
で、その兄さんを見つめながら歩いていて気づいた。歩道には、3匹の小型犬(プードルだか、テリアだか)を散歩させてる老夫婦が居たことに。
あぁ、お兄さん、犬が嫌いなのね、そんな素振りを見せていないつもりなのかも知れないけど...。って思った。
これも微笑ましく思った。
という、「まぁこの世界も捨てたもんじゃ無いかもな」って思えなくも無いような出来事(いや、特に犬嫌いの兄さんは関係無いかな)に遭遇した、のでした。
その時に『Wonder』を読んだことを思い出し、なにか繋がっているような気がしたので日記に書こうと思ったのです。