先月「ピアノ発表会」とやらに参加した。演奏者として。
『ピアノ・オン・ザ・ロック』という曲だった。吾子と連弾を行った。興味がある方は、曲名にてネット上を検索なさると、様々な方の演奏する様子が見られるはずだ。さっき、改めて「少年達」の演奏を見ていたら、演奏会の時の緊張が自分の中に蘇ってきた。自分の反応に笑った。
この曲は、どう考えても、主役の「高音パート」の方が簡単である。楽譜を最初に貰った時に「どう見ても、伴奏の方が難しいだろ」と思った。高音パートならば、ほとんど練習せずとも弾ける自信があった。そして、「低音パート」については、相当に練習しないと弾けないだろうコトが瞬時に分かった。そもそも、楽譜を貰った当初は、左手と右手で別々のリズム(ロックンロール:「ずんちゃちゃずんちゃっ」の「ずん」が左手、「ちゃ」が右手だが、2つめの「ちゃ」では裏側で同時に「ずん」)を刻むことができなかったのだ。また、曲中間部の16分音符が混じる所(♪テロテッロッペッポッパッポッ)などは、到底弾けるとは思えなかった。
連弾のパートナーは、母親が務める場合が多いらしい。あるいはピアノの先生や、お姉さんとか、お兄さんとか。その演奏会に於いては、父親が弾くことはほとんど無いということだった。
配偶者と私を比較すれば、音楽関係に於いては、明らかに私に「一日の長」がある。ピアノをどこかで習ったことはない(習いごとや塾、予備校の類には一切行っていない)が、高校時代は合唱部でパートリーダーを務めたし、大学時代には「小学校教員免許取得」のためのピアノの授業もあった。そこではバイエルの一部を弾いた。
で、相当に練習した。特に演奏会前の3週間くらいは、毎日必ず10分以上は練習しただろう。ま、最終的な出来映えは「そこそこ」だったと思う。当然のことながら? 練習の方が多少うまく弾けた。しかし1年前に比べれば、私のピアノを弾く力は、遥かに上がったのは確かである。また、「プロのピアニストは上手いのだなぁ...」と思ったのだった。
加えて、高校時代の合唱部の伴奏者、「どかちゃん(あだ名)」は偉かったなぁ...、と。
合唱というのは、「大勢」で歌うから、多少はミスをしたり、息継ぎで歌うのを一瞬休んだとしても、大きな問題にはならない。しかし、ピアノなどは違う、というコトを改めて知った。
ヒマな夜、私はインナーイヤーのヘッドホンにて iPod の音楽を聴きながら寝ることがある。基本的に全曲をシャッフルして聴く。で、タイマーで止める。ヘッドホンをしたまま寝てしまうと、若干耳が痛くなる。
年末年始の休みの間、時々それをやっていた。ある晩、高校時代の「定期演奏会」の音源が再生された。妙に目が冴えてしまい、その演奏に聴き入った。
で、思い出した。「どかちゃん」のピアノもあったが、定期演奏会では「なるしま(本名)」のギター演奏もあったことに。彼らは偉かった。私は特に偉くなかった。単なる「歌い手」だ。ま、部長兼ベースのパートリーダーだから、偉いと言えば偉いのだけど。
何しろ、楽器の演奏というのは緊張するものであるコトを知った。ま、慣れてしまえば慣れてしまうのでしょうけどね。
吾子については、基本的に緊張しなかったらしい。演奏後、「パパは緊張したわ。(あなたは)どうだった?」と尋ねたら、「緊張しなかったよ」「人が聞いていると思わなければ良いんだよ」と教えて貰ったのだった。かなりウケた。
彼女はまだ、「突然自分を客観視してしまう」という類の「緊張」に出会ったことがないのだろうな、と思ったのでしたとさ。ま、良い思い出ができた。