渡邉康弘センセイと縣秀彦センセイと私

「数年前」に職場の誰かから聞き、河合塾で数学科の講師をなさっている渡邉康弘先生は、私と大学が同窓(地学科出身)であることを知った。渡邉先生は、ここ数年、私の職場でも短期の講習などを担当なさっている。

渡邉先生は、衛星中継の講座も担当なさるような、河合塾の看板講師であらせられる。
「数年前」のさらにすこし前、校内研修と云うことで、数学科の教員と一緒に、彼の授業を受けさせてもらった。講談のような授業であった。スゴイと思うが、私は真似をできない。私は私で精進するのみであると思った、コトを思い出す。

で、本日やっと「同窓」関係のお話をお伺いできた。
部分的に個人情報になっちゃうので、どこまで書いたものか悩むのだが、問題があったら適宜対処します。


渡邉先生は天文学研究室の出身とのこと。
で、後輩に縣秀彦氏がいらっしゃるとのこと。

縣秀彦という方は、テレビの『NHK高校講座』とかにも出ている、国立天文台の准教授であらせられる。
妙にヒトの良さそうなオッサンだなぁ...って思っていたら、縣さんは高校のセンセイもなさっていたとのこと。凄く喋りがうまいと思っていたら、「元プロ」なのだった。確かに公式サイト(?)にも、そういった記述がある。


渡邉先生がおっしゃるには、天文学の普及のため、縣先生に白羽の矢が立った結果、今の(オガワマサキの知る、テレビの)彼が存在しているとのことであった。
高校の教員だった縣氏に対して、同じ研究室の先輩(渡邉先生よりも数年先輩)から「箔(学位)を付けて国立天文台へ乗り込み、天文学の普及に努めよ」との指令が出たとか出ないとか。凄いハナシである。私は、昔から縣センセイは「バリバリの研究者」なのだと、勝手に思っていた。

よくよく考えると、私の学部卒業と、縣センセイの修士修了は同時(1993年)なのである。
4年間、かなり物理的に近い場所に存在していたはずなのだ。岩石鉱物学研究室と、天文学研究室だから、直線距離で数十mってトコロだろう。きっと何度かすれ違ってもいるはずだ。しかし、全然面識がない。


縣センセイや国立天文台に関連する過去の日記
太陽が地球を回ってる(2005年)
"矮惑星"で何がいけない?(2007年)
反応があった(2007年)
燃え上がり、立ち消えた物欲(2007年)
"POWERS OF TEN"は"Mitaka"に影響を与えたのだろうと思う。(2008年)

ここにあるのは2010年3月26日 21:40の日記です。

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