先日、高校3年生を送り出した。5回目である。
もらった花束。
大概、花束を生徒から貰う。
今年は家に持ち帰るのが面倒だった(子供もいるし、危険そう)ので、学校の廊下に飾ってある。例年のごとく、水切り(花瓶等の水中で、植物の茎を改めて短く切ること。花が長持ちすると言われる)をして、なるべく長く生かす。
花の種類によって、徐々にしおれてくるのである。私の記憶(というか、記録)では、かすみ草は長持ちする。
上の画像は、既にいくつかの切り花が廃棄されている。
徐々に花を処分しながら、徐々に卒業した人々の記憶を格納していく。卒業生を送り出した後の、毎回のリハビリテーションである。
思えば、この3年くらい、何だかんだで「職場全体の(酒付き)送別会」に参加できていない。ま、参加できなかったものは仕方ない。
この春も「とりあえず」お別れとなってしまう教員は複数名いらっしゃる。しかし、機会があれば、またお会いすることもあると思うのです。表題のフレーズは、私と同じくらいの年齢ならば、ご存じの歌詞でありましょう。(jasrac に金払うべきなのカナ?)
この春に、私が卒論作成などでお世話になった本間久英センセイが、東京学芸大学を退官なさると聞いた。先日、その関係で研究室の先輩(同業他社)から連絡があり「会合を開くつもりなので、分かる範囲で同期などに連絡してみてください」と言われた。とりあえず、私のケータイには同じ研究室で同じく本間先生のお世話になった、同じクラスだった人物の実家と思しき電話番号が保管してあった。親御さんが同じ場所に住んでいたようで、彼の現在の住処の電話番号を教えてもらえた。
およそ20年ぶりに会話をしたわけだが、一瞬で大学当時に戻ったような気がした。「俺、○○の連絡先知らねぇんだよな。年賀状の交換くらいしようぜ。会った時に住所を教えてくれよ」って言われた。その会合で配布するため、職場と自宅の連絡先を記した名刺を、ワード使って、改めて作成した。
同じ研究室の同期(平成5年3月学部卒)は、彼の他に少なくとも3名は居たのだが、それらのヒトビトの行き先・居場所は分からない。
つーコトで、この春お別れがあったとしても、逢えるヒトはいつか逢うのだろうと思うのでした。
さよなら。
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追悼
「お祈り」とか「さようなら」とか、別れ際のコトバに纏わるブログを読み、ホールデン・コールフィールドを思い出した。