GReeeeN とやらの『キセキ』って曲を修行する必要が出てきました。
この歌は、いつだったか、同僚がカラオケで歌うのを聞いたことがあり「なかなか良い歌だなぁ...」って思ったことはありました。しかし、酔っぱらって聞いていたので、「聞いた」という記憶しか残っていませんでした。
PV を最初に見たトキは「何で曲が始まるまで、1分間もドラマを見ねばならないのだ?」って疑問に思いました。さっさと曲を始めてくれ、って思いました。
本日、他のクラスのセンセイが作成した調査書原稿(保管用)のチェックに際して、上記 PV を片耳で聞きながら、ダラダラとシゴトしてました。歌詞カードを机に置いて。
よく読んでみると、とても良い歌詞です。
その後、PV の裏に流れるドラマが泣けることを知りました。真面目に見入ったら、微妙に涙ぐんでしまった。ホント、最近はカラダのソコカシコに「締まり」が無くなりつつあります。困りますね。
それだけならば、日記にすることは無いのですが、どーしても言いたいことが一つだけある。
流れ星は、上の画像みたいな感じでは流れないってコトです。ま、あのドラマの設定のように「夕刻に劇的に流星群が見える」ってコトも、あまり無いでしょう。それはとりあえず保留ってことで。
流星群は、「一点から出現するように見える」ことが多いです。その点を「放射点」と呼びます。分かりやすいように、図解してみます。
流星の元の「砂や小石」は、基本的に平行に飛んできます。というか、どちらかというと「地球が塵の中に突っ込む」のですけどね。ごく小さな存在である観測者から見ると、それらの「ごくごく小さな塵」は、ある一点から飛んでくるように見えるワケです。一点透視の動画みたいなもんですね。「ペルセウス座流星群」の場合ならば、矢印の「根元」の延長上に「ペルセウス座」が見えるっつーコトです。
あの『キセキ』の PV みたいに「一つの方向へ『向かって』流れる星」というのは、あり得ません。
地表と平行に流れ星が流れているか、地球から塵が飛び立っているなら、ああ見えるでしょう。でもそんなコトって、「流星」の性質上あり得ない。流れ星は地球に飛び込む一瞬だけ光り輝くのです。
なお、私は流れ星の「美しさ」を否定するわけではありません。
数回しか見たこと無いけど、あれは何か美しい。
「流れ星が流れる間に、3回願い事をすると叶う」ってのも、何となく信じたい。
なお、「彼女が欲しいッス」とか、「来て来て王子様ぁ」なんてフレーズを、3回繰り返すようなヒマはありません。流れ星の寿命は「およそ1秒間」だから。
「メスメスメス」とか「オスオスオス」とか「カネカネカネ」ってフレーズを日々修行しておけば、もしかすると「言い切れる」かも知れません。
流れ星を見たら、そんな下世話なフレーズなんて、思考回路に浮かび上がらないとも思いますが。
流れ星に関する日記
酔っぱらいの季節