8月は、ほとんど「腐れ日記」を記さなかった。しかし、Google 様のおっしゃるコトには、ariori.com 全体のアクセス数は、先月比で4割増だという。
結局、そのアクセス数増は、
冬の自由研究(リンゴの変色について) -"知恵ぶくらー"を嗤う-
に因るものなのであった。
ずっと昔、小学校や中学校に通っていた頃、私も「自由研究」には困らされた。
で、新学期が始まり、高校3年を担任している私の手元には、いくつかの作文(のようなもの)が集まっている。大学等へ提出する「志望理由書」である。
「君らの担任として、仕事をしてますよー」ってフリをするために、彼らの作品を添削するのである。文章の「キモ」こそ変えないよう心がけるものの、文体や構成がかなり違ったものになってしまうのだった。そして、それは毎度のことである。私が真面目にやるほど、その傾向は強くなる。
ただ、「もっときちんと書け、それから見てやろう」ってコトになる場合も多い。何しろ、ある程度書けている文章じゃないと、私も添削はしない。それほど「暇&お人好」じゃない。
ただ、言い方はそんなにきつくなく、「縁日のあんず飴の水飴」でくるんだような表現となる。「オブラート」どころではない。私は、八方美人の教員なのだ、エッヘン。
そんな私は「一般受験こそ、受験の王道である」って思ってる。作文で大学に入るなんて、邪道なのだ。暗く長い、コタツ経由の受験勉強こそ、高校生が辿るべき正しい道なのである。
話を戻す。
「教員による手入れ」が顕著に認められるのが「青少年読書感想文全国コンクール」である。
入賞作品なんか、どう見ても教員の作品だ。あれは、教育上どうなんだろう? 入賞者の心に、暗い影を残しそうな気がする。「あれは、私の作品じゃない...」って。
と、比較するフリをして、自分のシゴトを正当化するのであった。