「お祈り」とか「さようなら」とか、別れ際のコトバに纏わるブログを読み、ホールデン・コールフィールドを思い出した。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のペーパーバック版を最近読み終えた。『ライ麦畑でつかまえて』じゃなくて、村上春樹の訳の方だ。
村上春樹訳のハードカバーも、発売当初に買った。

『ライ麦畑でつかまえて』は、「がっきゅーぶんこ」に置いておくコトにしている本なのだが、度々無くなる。今も無い状態が続いている。

今回は新しい「村上春樹版ペーパーバック」を置こうかと考えたのだ。しかし、まずは自分が一度読まないと、もったいない気がしたので、読んだ。
このサリンジャーの『The Catcher in the Rye』は、私がもっとも繰り返して読んだ物語のハズだ。

新潮文庫には、同じサリンジャーの、他の作品がある。
『ナイン・ストーリーズ』はまだしも、『フラニーとゾーイー』『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』の記憶が、ほとんど無いのですね。
今、Amazon の書評を見てみたところ、改めて『フラニーとゾーイー』は読んでみようかと思った。今度、実家から拾ってきましょう。しかし、なにしろ『ライ麦畑』は、他の作品に比べ、頭抜けていた記憶がある。

結局、ペーパーバック版は、キレイでもったいないので、とりあえず手元に置いておくことにしました。
また、古本屋で「がっきゅーぶんこ」用を買うことにします。


で、何でそんなことを書いているかというと、以下のサイト(どちらも昨日作成された)を見て、主人公ホールデン・コールフィールドの主張を思い出したからである。彼は"Good luck!"という挨拶が嫌いらしい。

H-Yamaguchi.net: 「お祈り」する人、される人

Diary or Notes: 「さようなら」 そうならなければならないなら・・・


「お祈り」というコトバの新しい意味は、初めて知りました。

ようこそ」とか「ありがとう」の意味は考えたことがありましたが、「さようなら」は気付かなかった。
かなり奥が深いコトバだったのですね。

ここにあるのは2009年5月11日 21:21の日記です。

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