どうして教育員制度を導入するのですか。
これまでの日本の学校教育は、教員や事務員、教育委員会という教育の専門家が中心となって行われてきました。丁寧で慎重な教育がされ、またその結果優秀な人材が輩出されることによって高い評価を受けてきたと思っています。
しかしながら、「学校は旧態依然としていて、もはや死んでいる」という「云われ無き評価」や、「教員は神聖な職業である。ただひたすら、勤務時間も関係なく働けばよいのだ」という見方があったりして、今の学校教育と、それを司る教員は「許し難い存在である」という印象操作が行われてきた面もあったと考えられます。
そこで、先般から続いている「教育改革」の中で、国民全員による教育参加の制度の導入が検討され、国民全員が教育員として、それぞれの知識経験を生かしつつ一緒に「子どもの教育」を行うことにより、より国民の納得できる「学校教育及び生涯教育」を実現することができるとの考えのもとに教育員制度が提案されたのです。ま、ブッチャケ言うと、「タバコのポイ捨て」とか「やたらに臭う化粧は止めろ」と。
あるいは、「政治家だからと云って、身内に便宜を図ったりするなよ、この腐れ外道!」ってコト。
きちんと教育を受けたならば、漢字はちゃんと読みたいし、金にもキレイでありたい。以上、法律の趣旨を踏まえ、ご協力よろしくメカドック。
元ネタはこちら。
「裁判員制度」の導入、私は全然同意できません、未だに。
てめぇのケツは、てめぇで拭いて欲しい。裁判官は、皆、志願して法曹界に入ったのだろうから。
自己の鍛錬で「わかりやすい裁判所」を目指して欲しいよ、全く。
数年前の法曹人口を増やそうという動き、私は全然理解できませんでした。「(聞くトコロのアメリカのような)訴訟社会」、全然魅力的でない。日本は「和」でしょ、とりあえず。で、最近は「やっぱり減らそうか」とか言ってる。グダグダ過ぎ。
止めようよ、裁判員。
「昔のDNA鑑定が誤っていたかも」ってニュースがあるが、裁判員は検察などが集めた物証等を元に判断を迫られるわけだ。高知白バイ事件(ウィキリン)などもあった。
そんな砂上の楼閣での「戯れ」なんて、さらさらゴメンだ。時間の無駄だ。
ただし、政治家とかの贈収賄に関わる裁判には、是非とも参加したいなぁ。被告にケツを向け、両手で鉄砲つくって「死刑 !」って言いたい。何で「裁判員の関わる裁判は限定されている」のかしら、超フシギ。
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