この間読んだ『津軽』は、妙に「注」が多かった。多すぎる「注」というのは、結構うざったいものである。
しかし一つだけ、有意義な情報が得られた。日記の表題「希望的観測」という語、これは先の大戦(いや、私はどんな大戦も、身近に体験したコトなどありませんが)あたりから使われ始めたヤツらしいこと。
新潮文庫版『津軽』巻末の注から引用する。私が持っているのは平成3年8月15日の七十五刷。
「希望的観測」 戦時下、戦況に関してよく使われた言葉。
この文庫は初版が昭和26年8月31日に発行されたようだ。その頃、「希望的観測」という語は、市民権を得ていなかったということなのだろう。わざわざ注として書かれているくらいだから。
「希望的観測」という語、日常生活でも、聞かないことは無い。ニュースならば、比較的使用される語句だろう。そんなありふれた語が戦争に由来していたとは知らなかった。念のため、この語について2,3の辞書にも当たってみた。しかし、いつ頃使われ始めたかは書いてなかった。
三省堂の『例解新国語辞典 第七版』は、私が「希望的観測」という語について、この腐れ日記に書こうとしたことをズバリ書いていた。
きぼうてきかんそく【希望的観測】(名)
こうあってほしいと、かってにおしはかること。[用例]景気回復は、政府の希望的観測にすぎない。
日本というクニは「戦後最長の好況が続いている」とか聞くが、これは全くの「希望的観測」つまり嘘っぱちであり、大昔の軍部が行った「大本営発表」と、何ら変わらないんじゃ... って、書くつもりだった、この辞書を見る前から。
そういえば、渋谷のスペイン坂では「やんごとなきお方」が、人通りの絶えた早朝にスタジオ入りしているという噂が。どうも「戦後最長の好景気は嘘だった」って内容のテープを作成していて、放送予定は8月15日だとか...
冗談はさておき、経済関係では「弱含み」みたいな気持ち悪いニホンゴを見たりする。ああいうのは、そのうち定着するのだろうか? 何しろ、コトバというのはどんどん変化していくものなのだというコト、「うざったいほど大量の注」から分かった。