おもしろきことも無き世におもしろくこの句、いい大人は何となく実感することができるのであろう。世の中できちんと生きていくことは、それなりに大変である。 もちろん、子供は子供なりに、いろいろと複雑な事情を持っていた気もする。だいぶ忘れてしまったが。
私は基本的に高校生に理科などを教えて生計を立てている。私が彼らの力を認めてやることにより、彼らは中等教育を修了する要件の一部を満たすことになる。
私は生徒に学力を付けさせるために学校に雇われているのであり、生徒の進級・卒業の生殺与奪を楽しむために存在しているわけではない。理科ができない生徒に対しては、放課後の補習や試験前の質問、追試前の指導など、可能な限り支援を行っているつもりだ。
そして、向こうも真面目に取り組んでいるならば、最終的に多少ぺーパーテストの点が悪かったとしても、単位を与えてしまおうという心理状態になってくる。そのことが良いのか悪いのか、未だに分からない。
高校には様々なレベルのものがある。日本全国、同じ科目名であっても、単位を与える基準は高校ごとにまちまちになっている。だからこそ、ヒト(の親)は、良い(と言われる)高校、あるいは大学を目指すのだろう。
全般的には、良い大学を出た方が、それなりのカイシャに勤められるようになる可能性が高かろう。そして、それなりのカイシャはそれなりの給与を支払ってくれる。それは、そのカイシャがそれなりに働く(難しいことをこなすことができる)人達から成っているからこそ、収益を上げられるためだろう。
数年前に「小学校でも留年(原級留置)の検討を」みたいなニュースがあったが、そのハナシは最近あんまり聞かない。
勉強は基本的には難しいものだ。そして、その難易度は進級するにつれ、どんどん上がってくる。だからこそ、私は小学校段階での留年を導入すべきだと思うのだ。五十音表が書けなかったり、掛け算九九が言えないって子は、そのまま大きくなってしまうと「普通の大人」として生活することが難しいだろうという気がする。小学校の段階で学校の授業について行けない子は、原級留置にした方が本人のためになると思うのだ。
(今の制度のまま)力の足りない生徒が無理に進級し、「理解できないがために苦痛を覚える授業」に慣れてしまうことは、大変に非効率だ。無理に横並びで全員進級させるよりも、勉強が苦手な生徒に対しては、物事を理解して自分のものにしていくことの苦労を憶えさせる方が、彼らのその後の人生にとって有意義であろうと思われる。
小学生自身が「留年したくない」と思うならば、せっせと勉強を頑張るだろう。そういう子は多いはずだ。
また、可能な生徒には飛び級も認めるべきだ。小学校の勉強なんて、ヒトによっては苦痛でしかないだろう。少なくとも、小学生時代の私は、授業中暇だった記憶がある。文章を読む力も、数学の考え方も、自然科学の歴史も、自学自習で身につけることは可能だと思われる。
もちろん、学級という集団でしか身に付かないもの、学級という集団だから効率的に身に付くものもあるはずだ。
山崎パンの求人サイトが「すごい」らしいと、痛いニュース(ノ∀`)経由で知った。そこにあった(取り上げられていた)書き込みは、非常に適切な指摘であると思う。
497 名前: オムル・ハング(大阪府)[] 投稿日:2008/06/22(日) 19:17:16.22 ID:plriz6pN0
学歴ってのは将来のために無駄なことにどれだけ努力できるかわかりやすくする基準であって、努力もしないで誰でも入れる世の中になったら、基準の役目を果たさないだろ。
この間読んだ本『誰が学校を殺したか』の中で、夏木智氏も同じようなことを言っていた。私も概ね同意する。
このことを小学生に伝えるには、このように言うと良いのではなかろうか。
「オトナになって、好きなだけゲームが買いたかったら、将来そのお金を稼げるように、今勉強しておきなさい」って。