本を読み、老化を知る。

先日、テレビで『地下鉄(メトロ)に乗って』を放映していた。映像を見るのは初めてだが、原作は読んだことがある。浅田次郎という方の作品だ。
私が浅田次郎というヒトの作品で読んだことがあるのは、この『地下鉄に乗って』と短編集『鉄道員(ぽっぽや)』しかない。『地下鉄に乗って』は文庫1冊に長編1本が収まっている。

私は『鉄道員』の方を先に読んだ。私はほとんど映画を見ないが、それに比較すれば「映画の原作」に触れることは多い。特に目的の本が無く、本屋をだらだらと流しているときに「映画の原作」はちょうど良いのだ。『鉄道員』は自分で買ったが、『地下鉄に乗って』は配偶者から貸してもらった。

『地下鉄に乗って』を読み終えての感想は、以下の2点だった。
・『鉄道員』に似ている
・おもしろいものの、今ひとつ洗練されていない

文庫巻末の解説を読み、「メトロ」が「ぽっぽ」よりも先に発表された作品であることを知った。私の感覚はある程度正しかったようだ。私は作品を読むだけだから、何とでも言える。作品代を払ったし。もちろん「書け」と言われても、浅田次郎氏のようには書けないだろう。

この間、実家に帰った際に、古い文庫本を何冊か持ち帰った。「学級文庫」に置こうと思って。
気になっていた村上春樹の『回転木馬のデッドヒート』を、まずは読んでみた。何となくだが、高校1年生のクラスに放置するのは憚られる気がした。

で、次に太宰治の『津軽』を読んでみた。最初に読んだのは、高校の頃なのだろうか。あるいは大学に入ってすぐかも知れない。
津軽半島へは大学1年のトキに、徒歩旅行のサークル(東京学芸大学伸歩会)で訪れたのである。

青森市から津軽半島の日本海側に位置する金木に抜ける際、途中に水場が無く、部員全体が超脱水状況に陥ったりした。その際、ヨシイクゾーの白い宮殿も見た。
そのサークルに入って最初の本格的な合宿であったし、有名な観光地を巡ったこともあり、非常に印象に残っている。十和田湖の南から・奥入瀬・酸ヶ湯・八甲田山・青森・金木・小泊・竜飛と、7日かけて200km超を歩き通した。
歩いたからこそ、地理的関係が頭に入っているのだ。今回再読した太宰治の『津軽』という小説(紀行文?)の印象が、それほど頭に残っていなかったのは、私が津軽を訪れる前にこの本を読破したからだと思われる。
知っていれば、金木や小泊で、太宰治に関わる旧跡(?)を訪れたのだろうと思う。

大概の読書家にもそういう時期があるだろうと想像するのだが、私は「古典」と呼ばれる作品をひたすら数だけこなしていった時期がある。本棚が埋まるのが楽しいのだ。作品が終盤になると、半ば義務感からページを繰るようになっていたのだろう。『津軽』の終幕はほとんど記憶に残っていなかった。

今回改めて「本棚に入りっぱなしだった本」を読んでみると、自分が老化したせいもあろうが、作品について認識を新たにすることが度々あった。『津軽』を最初に読んだのは18歳前後だろうし、『回転木馬のデッドヒート』は20代になりたての頃のハズ。
どちらの作品も、その頃の私よりは、現在の37歳の私に似つかわしい気がした。


私は貧乏症なのだろうが、単行本を買うことはほとんど無い。文庫は軽いし安いし、ある程度評価された作品なわけだし。そして「解説」が付いている点も好きである。解説者と作品を共有できるような感覚が得られる。解説のない単行本の潔さも良いが、文庫の方が様々な点で好きだ。

本日、『人間失格』を読み終えた。この作品を読むのは数度目である。
かなりナルシシズムが鼻についたが、高校生のトキはそんなに気付かなかった。


『津軽』と『人間失格』は一応学級文庫に置くことにした。

ここにあるのは2008年6月13日 23:34の日記です。

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