通勤途上に丁字路があり、朝に晩に丁の字の「横画の下側」に沿って歩く。その横画も縦画も、片側1車線であり、横画の方には路線バスが通っている。
同じ歩道をゆく人の半数以上は、交差点の信号を守らない。守らずとも特に危険は無いからだ。時には2,3台の車が行き過ぎるのをきちんと待ったのち、赤信号の横断歩道を歩くこともある。何しろほとんどの場合、「縦画」からは車はやって来ない。
ある朝、例によって信号無視をしようとした。前に自転車に乗る男子高校生が居た。
彼は横画の下側から、バス通りを横切る横断歩道(それは青信号だった)を使い、横画上側に渡った。と、思うや否や、もう一つの横断歩道で、横画の下側に戻ってきた。その間、縦画からは全く車は来なかった。
「信号を守るだけのため」に、彼はそのような進路を取ったのだ。そのことに気付いたのは、数秒後だった。
真面目というか、律儀というか。単なる馬鹿に近しい気も。
彼の行動は誉められこそすれ、貶されることは無い筈なのだろうが、何か違和感を感じずにはいられなかった。
親のしつけか、あるいは彼本人の信念だろうか。それとも何かの願掛けだろうか。その律儀さの由来を知りたいと思った。
念のため申し添えるが、私は車を運転する際、交通信号は無視しない。無視するのは徒歩や自転車の場合だ。自転車での信号無視は、あまり誉められたものでは無いだろうが。
車の信号無視で忘れられないのは、奈良県だ。20年以上前、中学の修学旅行で初めて訪れたとき、車が町の真ん中でバンバン信号無視をしていた。東京や茨城にしか住んだことが無かった14歳の私は、そのむちゃくちゃぶりに驚いた。
それ以前もそれ以降も、あれほど信号無視をするような場所に行ったことは無い。
「出会いセンター」は作るのに「子供を安心して産める病院」を潰したり、ヤクザみたいな職員を飼ってたり、超キモいキャラクターに無駄金出したりと、かなりヤバい土地なのだろう。