増えていく「自動」達

本日、職場の男子トイレに「自動照明点灯装置」が設置された。
赤外線か何かを用いて、物体の移動だか熱源だかを感知し、電灯のスイッチを入れるヤツだ。

自動ドアってのは、モノゴコロつく前から存在していた。
自動水栓が身近になったのは、この10年ちょい前くらいからか?
自動照明点灯装置を見るようになったのは、この数年という気がする。

「自動」が増えるほどに、「後始末」をしなくてすむようになる。
「次に来る人を考えて、ドアに手を添えておく」とか、「蛇口を捻って必要なだけの水量を確保し、用が済んだらしっかり締める」とか、「使わない部屋の電灯は消す」とか。

ま、気が付いた時には「全自動洗濯機」は存在しているし、カセットテープには「オートリバース」は必須ですよね。って、イマドキ、音楽聞くのにカセットテープは使わないか。
自動ドアはあまり不自然さを感じないが、自動水栓とか自動照明って、何か少し「罪悪感」を覚える昭和生まれである。

次のヒトのために「手動ドア」を押さえてくれる「生徒さん」を見ると、嬉しく思うのである。親御さんがきちんとしていらっしゃるのだろう。

自分で言うのも何だが、オッサンくさい文章だ。でも、本心そのものなのだ。

ここにあるのは2007年11月 9日 21:02の日記です。

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