まだ、いろいろと燻っている。
小沢一郎氏と民主党と自民党(と公明党)は。
私は、自民党候補に票を投じたことはない。この37年弱の生涯、17年弱の選挙権行使に於いて。
毎回毎回、大なり小なり悩むのである、センキョというヤツは。
一番の問題は、全ての公約に賛同できる候補が居ないことだ。ま、当たり前ではあるが。
この問題を克服したいならば、自分が出馬する以外には無いだろう。しかし、区議会なり市議会なりに名を連ねることになったとしても、自分の意見が通せるかどうかは別問題なのであろう。
じゃあ「長い物に巻かれよう」と、既存の政党から出馬する。その段階で、自分の意見と「党の意見」は摺り合わせないといけなくなるはずだ。
ヨノナカはそうそうスパッと割り切れないもののようだ。当たり前だ。
日本の国会の話。
アメリカ合衆国に対して「政治の空白」が生じようと、それは主権を有する日本国民が選んだことなのだ。民主党は主権者から「何か」を託された。小沢一郎氏は妥協して(ポストが欲しいからといって?)「大連立」なんてコトは考えなくて良いハズだ。
衆参両院の議員の皆さんは、立法府としてシゴトを遂行するまでのことである。いちいちいちいち、政党間や政党内で意見を摺り合わせ、必要ならば役人とも話し合い、真に必要とされる法案を作って欲しい。それが議会制民主主義というものだろう。私が望んで「そうなっている」わけではないが。
つい先日、保険の見直しをした。
結果的には、今まで加入していた共済を継続することにした。別の商品も考え、その2つを見比べたのだが、一長一短という感じで、なかなか決めづらいのである。選挙の際の「投票先選び」と似ていることに気づいた。
今日は教科(理科)の書架整理をした。
選挙や保険の選択に似ているデキゴトに、教員のシゴトとして「教材の選択」というヤツがある。教科書や副教材は、それぞれ似ていながら違う面もあり、一長一短だらけ(?)なのだ。来年度に使用する「副教材」の見本が届きつつある。古い教科書や問題集を処分し、比較的新しいものを書架に納めた。