昨今、学校の教員を「修士」にしよう、って言説がある。私は「教員の修士化」は意味無いと思う。
例えば、すずきかんってヒトの「マニフェスト」には、以下の文言がある。
2.公立学校の先生復活
教員の修士化と定数増。学校理事会主導による保護者・地域住民参加の教員評価。
すずきかんの約束
生徒一人一人の個性や学ぶ欲求に対応できる教育環境を作ります。
■教職大学院の設立を推進し、いじめや不登校に対応できる教師、現場で即戦力となる教師を養成します。
■教師の定員を増やし、生徒一人一人に合ったきめの細かい指導を可能にします。
■保護者、地域住民、学校関係者、専門家からなる学校理事会に不適格教師の認定申請権を与え、常に保護者の評価が現場に反映されるようにします。
> ■教師の定員を増やし、生徒一人一人に合ったきめの細かい指導を可能にします。
この部分は劇的に賛成する。
> ■教職大学院の設立を推進し、いじめや不登校に対応できる教師、現場で即戦力となる教師を養成します。
しかし、この部分はイタダケない。
「修士」ってのは、私が知る限り、大学卒業後に大学院に通わないといけない。
一昨年に公表された、内閣府によるアンケート結果の一部を再び引用する。(最初の引用は2005年12月6日の日記)
「研修」に対する意見で一番多かったのは、「教員としての適性は本人の資質によるところが大きく、研修・指導等によって基本的に改善するものではない」である。私もそう思う。
確かに「研修」あるいは「大学院での学習」によって、部分的な改善はあるでしょう。しかし、人間の根幹部分ってのはほとんど変化しないものだと思うのですね。
話は飛びますが、あれだけ酷いめに遭っている(と私は思う)アベシンゾー君なんか、未だに「月800円くらい、ちょろまかしても構わない」って公言したらしいですものね。全然学習していない。
「戸塚ヨットスクール」の校長である戸塚宏氏、服役を終えたのは昨年のコトだった。出所後のコメントで「体罰は教育」だと宣わったとかナントカ。戸塚氏は自らが行う「スパルタ教育」を支持しているワケだが、「刑務所によるスパルタ教育(?)」は、戸塚氏を変えられなかったわけだ。面白き矛盾。
三つ子の魂百まで。
すずきかん氏へのツッコミに戻る。
私は、10数年間教員をやってきた。徐々に生徒を手なずけられるようになった気がする。
大学や大学院では、学問として「教育学」を学んだり、自分が専攻する分野の「最新の知見」を導入することは可能だろう。しかし、教員に不可欠な「教科教育力」というのは、高等教育をやたらにたくさん受けただけでは、身に付かないはずだ。「教科教育力」や「生徒掌握力」は日々の授業で試行錯誤を行い、経験から身につけるしかない。私はそう感じつつ、ここまで来た。
そして、「いじめや不登校」への対応。
こんなものはヒトに教わって身に付くものでもないだろう。そういったデキゴトへの対応というのは、上手になれるのだろうか。純粋な疑問だ。
私もクラス担任を務めるうち、不登校傾向の生徒に出会うことがあった。クラス担任にできることと云えば、誠意を持って、私自身の考え方を相手に伝えるくらいだ。そして、相手が納得して学校に通うように仕向ける。もちろん、学校に来られないままの生徒も居る。
だいたい、大学だけならず、大学院まで行くってコトは、それだけ「職業人として給料を貰い始める年齢」が上がると云うことである。私は大学院に行く価値というのは見いだせなかった。さっさと現場に出たかったし、給料をもらい、「一人前」になりたかったってコトもある。
話は変わるが、腐った政治家や官僚こそ、「モラル幼稚園」から通い直すべきだと思うのだ。
「大学院まで行って、モラルの修士号を取れ」なんて申しません。小卒程度で結構ですよ。