おおらかだった頃

先ほど採点が終了した。

公立学校の先生なんかは、「答案持ち帰るベカラズ」みたいな約束もあるらしい。
私の勤め先は、私学だけに若干融通が利く。「持ち帰る場合は自己責任で」みたいな感じで一応許可されてるノダ。落としたりしたら、洒落にならないだろうが。
ま、「持ち帰る」って時点で、ホワイトカラーエグゼンプションという名の棺桶に、自ら両足を突っ込んでしまっているわけだ。労働者としては、あまり褒められた行為では無い。

ここ数年、自分を褒めるコトが続いている。毎年中学生に対して、ほぼ同じ範囲の授業を繰り返し行いながら、試験問題は必ず作り直しているから。って、アタリマエか?


忘れもしない1985年、私が中学3年の時である。
その年に豊島区内の中学校から異動してきた数学の先生Aがいた。特に好きでも嫌いでもなかった。厳密に言うと、「好き」よりは「嫌い」に近い先生だったから、名前も覚えていないのだろう。

で、そのA先生は私の記憶では長崎中学から第十中学に異動してきたのだ。で、Aは異動前の中学で使った定期考査の問題を、そのまま(?)私たちの通う学校でも使ったらしいのだ。
友人の数名が通っていた塾が東長崎駅近くにあり、その塾に通っていた友人数名は、Aの作った過去問を入手したらしい。

私が中学の頃、評定は「相対評価」だった。
どれだけ頑張っても、5の人数は限定されている。また、都立高校に入るには「内申」と「5教科のペーパーテスト」の両方が大事なのだ。「定期考査の流出」は、コドモゴゴロ(?)にも、「洒落になってないよ」って思ったのだ。

ここにあるのは2007年7月10日 22:19の日記です。

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