2007年7月アーカイブ

白・黒・灰色

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Google alerts(Googleアラート)は便利である。

あらかじめ設定した語句(今回は"色覚")を含むニュース記事などが Googlebot(?)によってクロールされた場合、そいつをメールで教えてくれるのだ。で、本日、以下の記事を発掘?した。

monochrome.gif

asahi.com 内
「こころの元気」取り戻そう 疾患者を表紙モデルに
から一部引用。

○○さんは6年ほど前、仕事と結婚生活のストレスで眠れなくなった。味覚や臭覚、暑い・寒いの感覚がなくなった。色覚もすべてが白、黒、グレーの3色にしか見えない状態に。

「白、黒、グレーの3色」って、表現が大ざっぱすぎないか? 

「明度の違いしか認識できなくなった」とか「明るさしか判別できなくなった」なら分かる。しかし「グレー」ってのは「明るいグレー」から「暗いグレー」まであると思うのですね。明るさを「白・黒・灰」の3値に分けちゃうって、あまりにも豪快すぎる気がします。

ってコトで、その記事のキャプチャ画像を「256階調(グレースケール)」「3階調」に変換してみました。

ヒトの眼と脳の感じる「色」って、ヒトによっては「かなり大ざっぱ」に扱われがちなのかも知れないと、改めて感じた私でした。少なくとも、上記記事を書いた記者は、色覚関係での不便を感じたことは無いのでしょう。良かったですねぇ。

西日暮里駅前最速ラップ

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前から気になっていたことがある。
今日、画像を撮影できたので、披露する。

下の画像は「とある交差点」である。ってか、JR西日暮里駅から町屋方面へ向かっている道灌山通りと、尾久橋通りの交差点である。
現在、この交差点の上では「日暮里舎人ライナー」の駅舎が建築中である。
crossing.jpg

そのため、横断歩道の位置が、工事前と比べると大幅に変わった。

で、私が工事後から気になっているのは「移動経路が遠回りになる場所に陣地をキープする人物」である。具体的にはA(地点)に佇むヒトビト。
crossing.gif
私が写真を撮影したのは★の地点である。横断歩道自体はかなり「ひしゃげた」平行四辺形になっている。A地点は平行四辺形の鋭角の脇になる。B地点は鈍角の脇である。

写真では分かりづらいが、A・B両地点の向こうには、地下鉄の出入り口があるのだ。だから、明らかにA地点経由(青い点線)よりも、B地点経由(赤い実線)の方が良いルートなのだ。
route.gif

町屋駅方面から、ちゃんと横断歩道を渡って西日暮里駅を目指すならば、最短経路となるのはB地点経由のハズである。しかし、結構な割合でA地点で信号待ちをするヒトが居るのだ。不思議である。
「西日暮里横断歩道グランプリ」のポールポジションは、A地点ではなくB地点なのだ、どう考えても。

おおらかだった頃

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先ほど採点が終了した。

公立学校の先生なんかは、「答案持ち帰るベカラズ」みたいな約束もあるらしい。
私の勤め先は、私学だけに若干融通が利く。「持ち帰る場合は自己責任で」みたいな感じで一応許可されてるノダ。落としたりしたら、洒落にならないだろうが。
ま、「持ち帰る」って時点で、ホワイトカラーエグゼンプションという名の棺桶に、自ら両足を突っ込んでしまっているわけだ。労働者としては、あまり褒められた行為では無い。

ここ数年、自分を褒めるコトが続いている。毎年中学生に対して、ほぼ同じ範囲の授業を繰り返し行いながら、試験問題は必ず作り直しているから。って、アタリマエか?


忘れもしない1985年、私が中学3年の時である。
その年に豊島区内の中学校から異動してきた数学の先生Aがいた。特に好きでも嫌いでもなかった。厳密に言うと、「好き」よりは「嫌い」に近い先生だったから、名前も覚えていないのだろう。

で、そのA先生は私の記憶では長崎中学から第十中学に異動してきたのだ。で、Aは異動前の中学で使った定期考査の問題を、そのまま(?)私たちの通う学校でも使ったらしいのだ。
友人の数名が通っていた塾が東長崎駅近くにあり、その塾に通っていた友人数名は、Aの作った過去問を入手したらしい。

私が中学の頃、評定は「相対評価」だった。
どれだけ頑張っても、5の人数は限定されている。また、都立高校に入るには「内申」と「5教科のペーパーテスト」の両方が大事なのだ。「定期考査の流出」は、コドモゴゴロ(?)にも、「洒落になってないよ」って思ったのだ。

消えゆく教科「情報」

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平成20年度東京都公立学校教員採用候補者選考実施要綱
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/jinji/20senko/20jissi.htm
から引用

募集する校種・教科等
    高等学校 情報
受験資格
    情報の高等学校教諭普通免許状
    数学又は理科の高等学校教諭普通免許状
    ※情報の他、数学又は理科の免許状も必要です。
    ※情報で採用された場合、数学又は理科の授業を担当することもあります。

神奈川県で情報科を受け持っている先生のブログによると、神奈川県は「情報科」の免許だけ持っていれば、教員採用試験を受験できたらしい。

東京都教育委員会って、数年前から公立学校に「主幹」というポストを導入している。これは、いろいろと問題があるという説もある。徐々に新聞の記事になったりもしている。ま、私の職場には関係ないけど。で、来年度からは「主任教諭」とか「統括校長」ってポストも新設されるらしい。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2007/06/20h6s101.htm

昨年秋、東京私立学校教職員組合連合(私教連)での勉強会に参加した際、「そういう噂」を聞いてはいた。「そういう噂」とは「東京都は教育職員の給与の細分化を画策しているらしい」ってコト。
しかし、こんなにさっさと(約1年後に)導入が決定されるとは思っていなかったッス。


ま、余所の芝生(?)の話はさておき、本題の情報科へ。

東京都教育委員会って、「主任教諭の導入」みたいな「反クミアイ的」なコトを含め、割と「先進的」である気がするのですね。東京都は新規募集の「情報科の教員」に「理科または数学の教員免許」を求めています。これは「普通教科『情報』が無くなるだろう」っていう見解に基づいた行動である気がするのですね。

私は、普通科高校の情報科って、無くなって構わないと思っています。目的自体が曖昧だから(参照:3月の日記の後半部分)。

で、この春、「渡航条件」ならぬ「都高情研(東京都高等学校情報教育研究会)」の「研究大会」に参加した際、鈴木寛(すずきかん)なるヒトの講演があった。
彼曰く「情報科を無くさないよう、色々アピールしないと情報科は無くなるかも知れませんねぇ...」って。

彼の公式サイトを見てみると、「情報科云々...」ってフレーズは、パッと見では見あたらない。あたりまえか。
確かに「お産難民」を救うコトなどの方が重要でしょう。


繰り返す。私自身は、普通科高校の「情報科」が無くなっても構わない、むしろ積極的に廃止したいと考える人間なのである。
「問題解決」ってフレーズが「普通教科情報」のキーワードの一つなのだが、そんなのが教科の目標になり得るという点がおかしいと思う。

情報科に関わる先生のブログを見ていると、時々この「問題解決」ってフレーズが出てくる。それぞれの先生のココロの中で、「問題解決を目指す教科なんて、どこかおかしいぞ」って感じているのじゃ無かろうか。だから、わざわざ日記に記したりしちゃうのだ、多分。


また、「総合的な学習の時間」も同様に無くしちゃいましょう。以前にも同じ様なことを記したコトあるが、もう少し丁寧に。

学校などの教育機関では、様々なプロフェッショナルによる、発達段階に応じた「古典的な教科の授業」が用意されている。それらを受けることにより、児童・生徒はそれぞれの学問領域の神髄に近づいていく。そんな作業を繰り返す中で、個人内に於ける価値観や人生観というのは徐々に醸成されるのだろう。無理に「総合的な学習」なんて行わなくても、教員が楽しんで授業を展開できれば、そのねらいは達成できると思うのだ。


そして、話は冒頭へ戻る。
「先見の明」がある東京都が示すように、情報科は消滅の方向へ向かっている。

悲しみのピヨピヨ

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一昨日一八時過ぎ、JR阿佐ヶ谷駅はダイヤ街側の改札。
六十歳がらみのバックパックを背負った小柄な夫婦、自動改札を「ピヨピヨ」言わせつつ通過。
JRの正規職員ではなく「警備員」と思しき、やはり六十歳がらみの男性、何も言わず。
三十六歳の私、老夫妻の直後を通過。
無事自動改札を通過した両人、アイコンタクト&「してやったり」との微笑み。

あの夫婦、自動改札を子供料金で通過すると、ランプが点いて「ピヨピヨ」言うことを、知らなかったのじゃないかと思うのだ。
…私は淡く深い悲しみを感じた。


とは言うものの、私も何度かキセルしたことありますけどね。定期券が紙製だった頃の話だ。昔はおおらかだった。キセル乗車を推奨するワケではないが、それが簡単だったことは確かだ。
大学時代の友人には、京都の遙か向こうから「無銭乗車」で東京まで帰ってきたという強者もいた。ま、乗ったのが無人駅の上、道中、検札が全然来なかったコトもあったそうだが。

昨今、学校の教員を「修士」にしよう、って言説がある。私は「教員の修士化」は意味無いと思う。


例えば、すずきかんってヒトの「マニフェスト」には、以下の文言がある。

2.公立学校の先生復活
  教員の修士化と定数増。学校理事会主導による保護者・地域住民参加の教員評価。
すずきかんの約束
  生徒一人一人の個性や学ぶ欲求に対応できる教育環境を作ります。
   ■教職大学院の設立を推進し、いじめや不登校に対応できる教師、現場で即戦力となる教師を養成します。
   ■教師の定員を増やし、生徒一人一人に合ったきめの細かい指導を可能にします。
   ■保護者、地域住民、学校関係者、専門家からなる学校理事会に不適格教師の認定申請権を与え、常に保護者の評価が現場に反映されるようにします。

> ■教師の定員を増やし、生徒一人一人に合ったきめの細かい指導を可能にします。
この部分は劇的に賛成する。

> ■教職大学院の設立を推進し、いじめや不登校に対応できる教師、現場で即戦力となる教師を養成します。
しかし、この部分はイタダケない。

「修士」ってのは、私が知る限り、大学卒業後に大学院に通わないといけない。

一昨年に公表された、内閣府によるアンケート結果の一部を再び引用する。(最初の引用は2005年12月6日の日記)
enquete.gif

「研修」に対する意見で一番多かったのは、「教員としての適性は本人の資質によるところが大きく、研修・指導等によって基本的に改善するものではない」である。私もそう思う。
確かに「研修」あるいは「大学院での学習」によって、部分的な改善はあるでしょう。しかし、人間の根幹部分ってのはほとんど変化しないものだと思うのですね。
話は飛びますが、あれだけ酷いめに遭っている(と私は思う)アベシンゾー君なんか、未だに「月800円くらい、ちょろまかしても構わない」って公言したらしいですものね。全然学習していない。
「戸塚ヨットスクール」の校長である戸塚宏氏、服役を終えたのは昨年のコトだった。出所後のコメントで「体罰は教育」だと宣わったとかナントカ。戸塚氏は自らが行う「スパルタ教育」を支持しているワケだが、「刑務所によるスパルタ教育(?)」は、戸塚氏を変えられなかったわけだ。面白き矛盾。
三つ子の魂百まで。


すずきかん氏へのツッコミに戻る。

私は、10数年間教員をやってきた。徐々に生徒を手なずけられるようになった気がする。
大学や大学院では、学問として「教育学」を学んだり、自分が専攻する分野の「最新の知見」を導入することは可能だろう。しかし、教員に不可欠な「教科教育力」というのは、高等教育をやたらにたくさん受けただけでは、身に付かないはずだ。「教科教育力」や「生徒掌握力」は日々の授業で試行錯誤を行い、経験から身につけるしかない。私はそう感じつつ、ここまで来た。

そして、「いじめや不登校」への対応。
こんなものはヒトに教わって身に付くものでもないだろう。そういったデキゴトへの対応というのは、上手になれるのだろうか。純粋な疑問だ。
私もクラス担任を務めるうち、不登校傾向の生徒に出会うことがあった。クラス担任にできることと云えば、誠意を持って、私自身の考え方を相手に伝えるくらいだ。そして、相手が納得して学校に通うように仕向ける。もちろん、学校に来られないままの生徒も居る。


だいたい、大学だけならず、大学院まで行くってコトは、それだけ「職業人として給料を貰い始める年齢」が上がると云うことである。私は大学院に行く価値というのは見いだせなかった。さっさと現場に出たかったし、給料をもらい、「一人前」になりたかったってコトもある。


話は変わるが、腐った政治家や官僚こそ、「モラル幼稚園」から通い直すべきだと思うのだ。
「大学院まで行って、モラルの修士号を取れ」なんて申しません。小卒程度で結構ですよ。

4℃転落す

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13日の金曜日、帰宅が配偶者と同じくらいの時刻になり、西日暮里駅で待ち合わせることになった。私が若干早く到着した。

携帯に着信があった。「指輪を線路に落とした」とのコト。

ほへー???


結論から言うと、終電後の駅に出向き、京浜東北線の線路に降りて、砂利の隙間から表題の指輪を回収しました。貴重な体験でした。
駅員さんにも迷惑をおかけしました。ありがとうございました。


指輪はおよそ5年前に、「半婚約指輪」としてプレゼントしたものだった。
理科を勉強しているヒトなら、"4℃"というのが意味のある温度というのはご存じでしょう。私は、そのブランド名が気に入ったから指輪を購入したのでした。
彼女は、もともと"4℃"というブランドは知っていたが、その意味(?)は知らなかったそうです。

私はだいぶブランド名に詳しくなりました。
確かに、"4℃"はかなりメジャーなブランドでした。この5年間、配偶者によってデパートに繰り返し拉致され、学習してきましたとさ。

滅茶苦茶に笑った。

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学期末の職員会議の場で、勤務先に於ける『同窓会だより』が配布された。
誤字がいくつかあった。大学名の「立教」が「陸橋」になってたり。それは、担当の先生もご存じのようだった。

そんな中、私は隣の先生が読んでいた『たより』を横から覗いていて、強烈な誤字を発見してしまったのだ。私は誤字を見つける才能があると思う。新聞の誤字も発見したことあるし。

正式に書くならば、そこは以下のような記述があるはずだった。

映画研究同好会
ルーブ・ゴールドバーグ マシンコンテスト ムービー部門 グランプリ

初めて、このコンテストを知った。恐らく、学校宛のメールを同好会顧問に転送したのは私なのであるが。
で、その『たより』では、以下のように記されていた。

ルーブゴールドバーグマンコテスト

隣のヤクザみたいな先生にも教えてあげた。更に2人の先生もコンテストの餌食になった。
4名の教員(♂)は、10分間近く笑いをこらえ続けた。笑いをこらえ続けていると、体から汗が噴き出ることを知った。アドレナリンの効果だろう。

しかし、笑ってしまうのは、上記ページでも誤記がある(らしい)ことだ。そのページのタイトルは「コンテスト」なのに。

からくり多摩テ箱
ルーブ・ゴールドバーグ マシンコンテンスト ホームページ

7月19日現在でした。

非常に適切だったweb広告

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17日にキャプチャした、時事ドットコムの記事と広告です。
akagi.gif
非常に適切な広告だったのですね。技術の進展はスバラシイ。

しかし、肌ってのは、ストレスに敏感ですよね。
やっぱり、余程心労があるのでしょう。自業自得でしょうが。

もう7日前の日経朝刊に「家電リサイクル、料金前払い方式導入を断念」(魚拓)という記事の、「もっと長いバージョン」があった。


家電リサイクル法の見直しに関するこれまでの議論の中間的整理
http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g70718c03j.pdf
って文書がある。

そこの冒頭には

特定家庭用機器再商品化法(平成10 年法律第97 号。以下「家電リサイクル法」という。)は、平成13 年4月1日に本格施行されたが、同法では、「その施行後5年を経過した場合において、この法律の施行の状況について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずる」こととされている(附則第3条)。
とある。

あの法律、見直しが予定されていたとは知らなかった。

ま、私は最初から家電リサイクル法がきちんと機能するとは思っていなかった。巨大家電量販チェーンが、回収した家電を横流ししていたってニュースもあった。この現象は、起こるべくして起こったと言えるだろう。大体、企業は基本的に「金もうけ」のために存在しているのだから。

私自身は、法案の対象となる「エアコン・テレビ・冷蔵庫・冷凍庫・洗濯機」が不要になった場合、改めて処理代金を払えばよいと思っていた。液晶モニタを買った際も、リサイクル代の前払いなんてアホらしいコトはしていない。


かの有名な『きっこの日記』の6月24日には、以下の記述があった。先に言っておきますが、私はかのサイトの愛読者です。

<前略>
その日の夜は普通に過して、次の日の朝、目が覚めて、コーヒーを煎れるためにキッチンに行ったあたしは、大変な光景を目にしたのだった。ナナナナナント!冷蔵庫の周りに水たまりができてたのだ! それで、あたしは、慌てて冷蔵庫を開けてみたら、開けたドアの上からバシャッ!って水が飛び散った。次に、フリーザーのほうを開けてみたら、フリーザーの中の氷とかいろんなものがみんな溶けて、その水がボタボタと下に流れてたのだ。
<中略>
‥‥そんなワケで、次の日に、新しい冷蔵庫が届いたんだけど、今までのよりもひと回り大きくなった上に、環境にやさしいノンフロンだし、新型だから電気代も安くなるし、音も静かになって、メッチャ嬉しかった。
<後略>

この点、私は非常にツッコミを入れたかった。指摘のメールを送ろうかとも思ったが、その日記の本論(?)とは無関係だから、止めておいた。ってか、今ココでツッコミ入れてるけど。

「新しい環境に優しい冷蔵庫」を買った場合、電力消費量が少ないという点では確かに「環境に優しい」。しかし、冷蔵庫というのは、壊れた時点、つまり「冷媒のフロンを大気に放出してしまった時点」で、「地球温暖化」や「オゾン層破壊」に手を貸したことになるのだ。しかし、きっこ氏はそういう認識はないらしい。ま、ご本人も「理科は苦手だ」って仰ってるから、仕方ないことなのだろう。

「家電リサイクル法Q&A」ってページには、以下の記述がある。

Q9 エアコン、冷蔵庫に含まれるフロンはどうなるのですか。
A9 これらに含まれる冷媒フロンについては、メーカーがリサイクルをする際に併せて回収・処理されることとなっています。小売店には収集・運搬にあたり漏洩防止措置をとることが求められます。

ってか、普通、エアコンや冷蔵庫って、フロンを撒き散らすことによって、その一生を終われるのじゃ無いでしょうか? この「リサイクル法」って、詰めが甘い気がする。
大体、無理なリサイクルは地球に優しくない。「家電リサイクル法」は典型的な「法律のための法律」という気がする。


今日、職場で来年度のための「採用試験」があった。成り行き上、国語科の「模擬授業」に立ち会った。その授業に用いられた教材は、「街角のエコロジー」という文章だった。三島次郎という方の文章らしい。そのお名前、全然知らなかった。同僚のセンセ(50代後半)の世代だと、知らないヒトは居ないくらいの大御所なのだそうだ。
その方の本、そのうち読んでみようと思ったス。知的な内容でありながら平易な文章であり、抑制が利いていて判りやすかったからだ。

また、「未入手の読みたい本リスト」に1冊が加わった。読むために手元にキープしてある本だって、相当溜まっているのです。読めるのはいつのことだろう...?

合格実績水増し

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高等学校などに於ける「合格実績水増し」は、今後も続々と発覚するだろう。

「1人で73学部・学科に合格」は確かに「やりすぎ」ではある。しかし、この問題が難しいのは「線引きができない」という点にあるだろう。「1人で○校までの出願は許されるが、○○校だとダメ」って、一概には言えないだろうから。


よくよく冷静に考えてみると、大学は入学定員に対して「合格者」を多めに出している。東大や京大みたいな「超人気校」でも無い限り、大学は必ず合格者に逃げられてしまうから。それに加えて、センター試験に相乗りする私立大学が増えている。昔よりも「センター試験の点数のみで合否判定」って私学が増えた気がする。そういう私学は、堂々と国公立大学受験者の「落ち穂拾い」を行っているわけだ。

私の勤務先は生徒が希望したままに、大学に出願させている。というか、出願は生徒が行うものだから、アタリマエだけど。しかし、うちのガッコでも「学校で受験料を負担したらどうなんだ」ってハナシ、冗談半分(つまり本気半分)ながら、ヒラ教員間で出ていた。危ないところだった。
「くそ真面目な指導と学校運営を行っていて、"ブーム"に乗り遅れただけ」と言えるかも知れないが。


全ての中等教育学校や高等学校は「合格先一覧」というデータを発表する限り、自動的に「水増し」をしてしまっている。大学の「入学者数」よりも「合格者数」の方が、圧倒的に多いのだから。

この現状を避けるには、高等学校や中等教育学校が持っている「卒業生の進学先」というデータを用いれば良いのだろう。今後は、それが「正当な学校の評価基準」となっていくハズ。

釜飯と雷

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本日の東京は、バリバリ雷が落っこちたようだ。
大学の教官に聞いた(ような気がする)話を思い出したので、記す。

教官の知りあいに、釜飯が無茶苦茶に嫌いな人が居たそうだ。年齢は判らない。女性だった気がする。
彼女は、どのような釜飯も受け付けないのだそうだ。「炊き込みご飯」は食べられるが、「釜飯」はダメだそうで。


幼い頃、恐らくまだ信越本線が横川から軽井沢まで通じていた頃なのだろう。彼女は駅弁を買ってもらったそうだ。当然、おぎのやの「峠の釜めし」である。

旅は楽しい。駅弁も嬉しい。
幼かった彼女、ワクワクしながら釜飯のフタを開ける。
その瞬間、彼女のごく間近に雷が落ちたそうだ。

それ以来、彼女は釜飯が食べられなくなった。


確かに、ほとんど全ての「好き嫌い」は「刷り込み」である。だから、幼い子供の脳に「釜飯=雷=怖い=嫌い」が強烈に記銘されるってコトもあり得るのだろう。


関係ないけど、あの釜飯の容器って、食器に使えて便利である。ま、たくさんは要らないけど。
フタは鍋敷きにもなる。ま、たくさんは要らないけど。
で、ちょっと「おぎのや」を見てみたら、容器の活用法「も」記してあったッス。自分ではやらないだろうけど。

料理教室/峠の釜めし本舗おぎのや
http://www.oginoya.co.jp/cooking/

ここにあるのは2007年7月に書かれた日記です。

前のアーカイブは2007年6月です。

次のアーカイブは2007年8月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。