部屋と黒板と私

2007年度になり、明らかに減ったシゴトがある。
それは「中途半端な長さのチョーク処理」である。

昨年度は高校2年を、本年度は高校3年のクラス担任をしている。当然、ホームルームを行う教室がある。放課後には生徒と一緒に教室掃除をする。

昨年度の最初、黒板の整備をしていて気付いた。「この教室で授業をする教員の中に、"チョーク放流主義者"が居るな」って。

"チョーク放流主義者"ってコトバは、今思いついた。私は"チョーク現地調達主義者"である。


私は職員室から授業に向かう際、チョークを一切持っていかない。授業をする教室に放置してあるチョークを適当に使うのである。
ヒトによっては、自分のチョークケースを持っていて、授業にそれを持参する方もいる。それもひとつのポリシーだろう。

私が理解できない存在(あれは"人種"といっても差し支えないだろう)に、「授業に向かう時、ほとんど毎回新品のチョークを持参する」というグループがある。

授業の際、確かに新品のチョークを使う方が、書き心地がよいだろう。しかし彼らは、その使用済みチョークを、授業を行った教室に"放流"するのである。昨年度、私はいったいどれだけ「少しだけ減ったチョーク」を回収したことだろうか。使用前のチョークの長さを"100"とすれば、およそ"80"くらいのチョークである。自分が使ったチョークは、自分で回収して欲しい。
年度途中、どう頑張ってもホームルーム教室では「"80"チョーク」を使い切れなくなってきた。結局、職員室の「"100"チョーク」置き場に上記「"80"チョーク」を再放流することとなった。特に苦情を聞いたことは無かった。


ああいう行動(チョーク放流)を取れるヒトってのは、「想像力に欠けてる」んじゃないかと思うのです。自分が使った後のチョークがどうなるか、考えていないのでしょう。
この"チョーク放流主義者"って、「飲み終わった紙パック飲料の容器を、道ばたに止めている自転車の荷物カゴに放り込む人達」に近いような気がします。ところで今気付いたが、そういう"ゴミ放流主義者"ってのは、"放置自転車撲滅活動家"なのかも知れないですね。駅前に自転車を放置しているヒトに鉄槌を下しているのカモ。しかし、それが本当ならば、「ひとつの自転車のカゴに、山ほどゴミが投入されてる」って現象はあり得ないですね。やはり彼らは単なる「自分勝手なヒト達」なのでしょう。


このコトをこの場所に書いて、何がどうなるワケでも無い。が、このネタはいつか書こうとも思っていた。
何故なら、このコトは職場全体に伝えるような内容で無く、職場の誰かに喋るほどでも無いからだ。飲み会の際、誰かに喋ったことはあるかも知れないケド。
何しろ、本年度は私のホームルーム教室でのストレスがひとつ減るとともに、その原因(の人種)は私から遠ざかったことも確からしいので、ここに記してみました。


"チョーク現地調達主義者"の私も、時々困難に遭遇するのですよ。自分がチョークを運ばないので、チョーク減少の危機に見舞われるコトがある。また、ごく稀に複数色のチョークを使いたくなった場合、それらが見あたらなかったりします。生物の遺伝分野あたりでは、色を用いて4種類の形質("丸黄・丸緑・しわ黄・しわ緑"みたいなトコロ)を区別したいときもあったりするので。
ま、普段の授業では、誰かが教室へ運んでくれたチョークの「成れの果て」である、チビた白いチョークと黄色いチョークしか使いません。そして時々、爪で黒板を引っ掻く羽目になり、何とも言えない周波数の音波で、眠りかけていた生徒を起こすのです。

ここにあるのは2007年5月25日 21:34の日記です。

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