中教審と再生会議

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070426ia25.htmから

道徳教育、教科で教えるべきでない…中教審会長が発言

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の山崎正和会長は26日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、教育再生会議が検討している道徳の正式教科化について、「道徳は教科で教えるべきではなく、教師や親も含めた大人が身をもって教えるべきだ。科目として点数をつけ、教科書を使う教科とすることは無理があると思う」と述べ、否定的な見解を示した。
 山崎氏は「中教審会長としては、委員の議論に耳を傾け、多数意見を文科相に伝達するだけだ。議論をリードする気はない。あくまで個人的な意見だ」と断った上で発言した。
 さらに、山崎氏は「現在の道徳教育もいらないと思う。現在の学校教育で『内面的な価値』である倫理の教育を行うのは無理だ。国の決まりはこうなっているという客観的な順法精神を教えるべきだ」と持論を展開した。
(2007年4月26日23時33分 読売新聞)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070426AT1G2603426042007.htmlから

山崎中教審会長「道徳・歴史教育は不要」
 中央教育審議会の山崎正和会長は26日の日本記者クラブ主催の会見で、個人的な意見と断った上で「価値観が多様化する中、倫理的問題は学校になじまない。道徳を学校で教える必要はないと思う」と述べ、道徳教育は不要との考えを示した。歴史教育についても「我が国の歴史はこうだったと国家が決めるのは間違い」と強調した。
 政府の教育再生会議は小中学校で道徳を「徳育」として正式教科にすることを検討している。中教審の審議は学校教育のあり方に深くかかわるだけに、発言が波紋を投ずる可能性もある。
 山崎会長は「社会の価値観が多様化する中、決着のつかないことが多い倫理的問題は学校になじまない」と指摘。妊娠中絶や、勝者と敗者を生む競争社会など是非をめぐって意見が割れる問題を例に挙げ「点数を付けられるものでもなく、学校で簡単に教えられない。代わりに民法や刑法などの順法精神を教えればいい」と持論を述べた。(23:00)

遙か昔の大学生の頃、小学校の教育実習に行った際、指導教諭としてお世話になった中村享史先生はおっしゃった。
「道徳は、悩ませるためにあるのです」って。

真面目な実習生だった(ホントかよ?)私、授業というものは、全ての教科に於いて「予定調和」だと思ってた、それまでは。
内容は忘れたが、授業で扱われたのは「妊娠中絶」でも「競争社会」でも無かったことは確かだ。何しろ小学生向けの内容だった。でも「最適な答えが見つかりづらいような状況」について、生徒に意見交換させる授業だった。「国立大学附属小学校に来る優秀な生徒達」が討論してました。答えは出ませんでした。

なお、中村先生は数学が専門で、「等分除」と「包含除」の違いを教えて頂きました。あれは勉強になりました。
この文章を作成してて思ったのですが、なんだかんだ言って、「教える」ってコトに集中していたのでしょうね、自分自身が。
私は結構真面目な学生だったのかも…


教育再生会議っていう「胡散臭い会合」が、「道徳を"数値化しよう(評定を出そう)"ってノタマッたコト」に疑問を感じていた私です。

「ポッと出」の「教育再生会議」よりも、「法に則った存在」である「中央教育審議会」の方が、「役者も意識も数段上」というコトなのでしょう。別に「中教審」を手放しで褒めるわけでは無いが、何しろ面白い新聞記事であった。
「山崎正和」ってヒト、今後もチェックしていこうと思った。

私は新聞記事に釣られたのか?


私は「和民って居酒屋」に客としては行く。が、従業員にはなりたくない。
また「和民高校」には従業員としても、生徒としても行きたくない。

ここにあるのは2007年4月27日 00:22の日記です。

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