昨日、TBSは911テロの特番を見た。
以前に聞いていたような気はするが、改めて「へぇー」と思ったコトが2点ある。
その1: テロ以降、中東でのアメリカ軍の戦死者数が、アメリカ同時多発テロでの死者数を超えた。
その2: グラウンド・ゼロでは、死者がヒーローとして扱われている。
「その1」について。
米軍の死者が5000人を超えたとか何とか。5000人の死(一説には2006年8月時点で12000人超とも?)というのは、そう簡単に想像できない。怪我人の数はもっと多いわけだ。
5000円を使うのは楽だが、5000人が死ぬってのはどういうコトなのだろう。みんな死にたくなかったハズだ。まあ、他人を殺したいという願望を持ったヒトはそれなりに居たのだろう。そういうヒトは、殺されちゃっても仕方ないと思う。しかし、お金が無く、何とかしてアメリカの市民権を得ようとし、中東へ向かったヒトも居たのだろう。キビシイなあと思う。
「その2」について。
グラウンド・ゼロの映像が流れていた。特にナレーションやキャプションは無かったのだが、テロの被害者リストとなっている石版?には、確実に"Hero"の語句が彫り込んであった。テロの被害者達、全然ヒーローじゃないと思うんですよねぇ。
私がどうしても好きになれないフレーズに「罪のない市民」ってヤツがある。そのコトについては、"September 11th"の1か月後にも記している。
最近、酔っぱらい絡みの痛ましい事故報道が多い。橋の上で停車していたら、酔っぱらいの運転する車が突っ込んできて、車内の子供が被害を受けた、とか。この場合ならば、事故の被害者である子供を「罪のない子供」と呼んでも、「ほとんど」差し支えないと思う。
「因果応報」という言葉がある。あるいは「情けは人のためならず」って諺もある。自分の行いってのは必ず周囲に影響を与えるものだし、自分の周囲の現象ってのは、自分自身に何らかの原因があるのだと思います。
ヒトは結構弱いものです。長い人生、一時的には「因果応報」みたいな考えに凝り固まってしまうこともあるでしょう。その弱い心や不安に思う気持ちにつけ込んでいるのが「宗教」という存在なのだと思います。昨今流行の「スピリチュアルカウンセラー」みたいな輩も同じようなものでしょう。
現在は「古典的」と思われているような宗教、例えば三大宗教であっても、基本的には「ヒトの弱い心」につけ込んで発展してきたものであろうと思うのです。
べつに宗教論を打つのが目的ではなかった。
アメリカは世界中から搾取を行ってる。だから、アメリカに生まれたって段階で、そいつらは罪を背負っていると言えるはずです。ましてや、「ワールドトレードセンター」ですぜ。搾取の国の聖地じゃないですか。
そんな場所に勤務している段階で、立派に「罪」だと思うのですよ。
ってか、ヒトとして生まれるコト自体が罪深いとも言える。まあ、ヒトとして生まれるコトができたってのは素晴らしいとも言えるのだが。
文句ばかり言っているが、日本って国はアメリカ軍の世話になっているってのも確かでしょう。そんな私は働いては税金を支払い、税金を集めた日本って国は、せっせとアメリカドルを買い、アメリカの市民はせっせと借金を増やして優雅な生活を送っているのですねぇ。
現代社会に生きるというコトは難しい。
で、繰り返すが「罪のない市民」という三人称複数形(?)は存在しない。