2006年9月アーカイブ

天秤のないてんびん

カテゴリ:

ずーっと前から「おかしいなぁ」って思っているコトを。

電子天秤(てんびん)というものがある。
denshi.jpg
私の職場にあるのは、島津製作所の製品である。

「電子」は厳密に言うと「エレクトロン」のことであるが、この場合の電子は「電気で動く」という意味なのだろう。
で、電気的な部分が存在しない天秤と言えば、昔懐かしい「上皿天秤」である。
uwazara.jpg

「天秤」とは何か。
ドクターマウス、ってかその中に収録されている『岩波 国語辞典 第六版』によれば、

てんびん【天秤】
1 秤(はかり)の一種。中央を支えた梃子(てこ)の両端に皿をつるし、一方に測る物を、他方に分銅(ふんどう)を載せ、梃子が水平になるかどうかを見て重さを決める。「―にかける」(二つのうちからどちらかを選ばなければならない時、優劣・損得を比べてみる)
2 「天秤棒」の略。
ぼう【―棒】両端に荷物をかけ、肩にになうための棒。
ってコトなので、「上皿天秤」は間違いなく天秤である。

それに対して「電子天秤」。これはどう見ても天秤ではない。天秤棒が無いではないか! しかし、理科(?)の世界では「天秤」というと「質量を計測する機器」という意味になってしまうようなのだ。


って、ここまで書いてみて、よくよく調べてみた。

天秤は英語で"balance"であると。そういえばそうだった気がする。

で、MicrosoftBookshelf でそいつを調べると、以下のようになる。厳密には、使用している辞書は"New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd."ってコトらしい。"balance"の1つめの意味として「はかり」が書いてあったッス。

balance 【名】

1 【C】 天秤(てんびん), はかり (解説 はかりさお (beam) の両端に皿 (scale) をつるし, 一方に分銅 (weight), 一方に物体をのせて中央を支点にして重さを測る計器だが, 現在では広く「はかり」の意で用いられる)
a pair of balances 天秤一台.

ってコトは、「天秤」における「名前と姿のアンバランス(不一致)」ってのは、もともとは英語から来ているのでしょう。「はかり」は「バランス」であり、「てんびん」でもあるわけですねぇ。

なお、「不一致」の英訳は、"New College Japanese-English Dictionary, 4th edition (C) Kenkyusha Ltd."によれば、

ふいっち【不一致】
《形式》 disagreement; 《形式》 inconsistency (矛盾)
ってコトになるそうです。

私はかなり「でんじろう先生」(画像ググリンク)のファンである。


昨日、日本テレビの『世界一受けたい授業』ってヤツにチャンネルが合ったら、彼が出ていた。
その中で、「濡れない水」みたいなのを扱って授業をしていた。

そいつは消火剤として売られている液体らしい。住友3Mが販売しているノベック1230という製品だそうだ。

そのページを見る限り、とっても優れものの製品に見える。温暖化への影響も二酸化炭素並みであり、分解するまでに数日間であり、従ってオゾン層への影響も少ない... らしい。
3Mってのは、めちゃめちゃ化学に関する技術力がありそうだから、うまいこと各種測定(温暖化への影響を測定する試験など)の盲点をつきながら、その分子(フッ素化されたケトンの一種)を設計したんじゃなかろうか。
本当に大気中で数日間で分解してしまう有機化合物ならば、それはかなり凄いのだが、分解産物の安全性とかはどうなってるのか疑問に思った。分解前の製品ノベック1230が安全なのは確かだとして、分解途上のフッ素化合物の人体等に対する安全性なんかは測定しないんじゃないかと思ったのだが、本当のところはどうなのだろう。また、消火に際して発生するフッ素化合物も、結構毒性が高いんじゃないだろうか? よく分からない。

で、先ほど「ハロン ノベック」でググッてみたら、以下のブログを発見した。なお、ハロンってのは臭素を含んだ有機化合物で、やはり消火剤として以前から用いられているガスである。
「へタレ生活日誌:【サプライズw】ノベック1230」

それを見て、以前にもこの物質がテレビで紹介されていたことを知った。
でんじろう先生が行っていたのも、上のブログに書いてあるのとだいたい同じ実験だった。昨日、彼は半紙に墨で「科楽(←かがくって読むんだそうだ)」と文字を書き、その書きたての半紙をノベック1230って液体に突っ込んでた。

ノベックに半紙を突っ込んだ後、ノベックは揮発してしまったのだが、墨汁はまだ乾いていなかった。ノベックが揮発することは別に不思議ではないが、墨が全然乾いていなかったという現象が面白かった。


昨日の番組で「謎の生物」という触れ込みで出現した黒っぽい物体。それが「磁性体入りのスライム」だってコト、私は一瞬で分かった。でも、磁性体の選択とスライムの配合には、それなりのコツがあるのだろう。
で、「磁性体 スライム」でググッてみたところ、この商品(?)は20世紀末に世の中に発表されていたコトを知る。「マグドロン」ってページは1999年に作成されたらしい。

でんじろう先生って人は、都立高校の先生をしていた(らしい)トキから、テレビで見たことがあった。NHKのドキュメンタリーかなんかだったような気がする。もう10年以上前なのだろう。
ペーパーテストが得意でない生徒が集まってくる都立高校で教鞭を執っていた。なお、鞭なんかは持っていませんでした。
私が見ると、とっても興味深い理科(確か物理)の授業を展開しているのだが、その都立高校の生徒はあんまり反応していなかった。先生がかわいそうだった。それでもでんじろう先生は、生徒を喜ばせるべく、次々に新しいネタを作っていったようだ。(彼の経歴についてはウィキペディアにも書いてありました。)

世の中には、でんじろう先生が行う「科学ショー」を「単なる見せ物だ」と批判している方もいらっしゃる。まあ確かに、過去には単なる「ショー」でしかない番組もあった。「まめまめ星人」とかね。
しかし、昨日の『世界一受けたい授業』は、科学的な説明もされていたから、とっても良かったと思うのでした。

贅沢な悩み

カテゴリ:

昨日は相当に悩んだ。

何に悩んだのかというと、「ガンプラを買うか否か」ってコトである。
「ガンプラ」は「機動戦士ガンダムのプラモデル」のコトである。一応念のため書いてみた。


私は RSSリーダー として Infoseek RSSリーダー を使用させて頂いている。職場でも、自宅でもブログ等をチェックできて都合がよいのだ。

世の中では、未だに RSSリーダー を使用していない方がいらっしゃるようだ。気になるブログの更新をチェックするため、場合によっては毎日ブログをチェックしているとか…。 私が通っているブログで、そういうコメント(書き込み)を見たことがありまする。

偉そうに言う私も、この「RSSリーダー」って言葉は昨年から知ってはいたものの、使い始めたのは今年の3月くらいからだったりする。
「更新が稀だが気に入っているブログ」がある方は、騙されたと思って上記の RSSリーダー を使用してみることをお勧めする。マジで楽ですから。


で、本題に戻ると、何で今更「ガンプラ」に興味を持ったのかというと、「ガンプラ BLOG (ブログ)」が Infoseek のお勧めとして存在していたからである。

何で私は昨日、そんなに「ガンプラ」を見る機会があったのか。

それは、配偶者が最近「編み物」にハマッているからなのだ。「編み物」材料の買い出しとして、吉祥寺のユザワヤまで出かけたのだ。彼女は実に熱心に毛糸と教本の物色を始めた。
私も手芸の類はそれなりに好きなのだが、毛糸売り場にずっと立っているのも飽きてきたので、玩具売り場に遊びに行ったのだ。そして、大量のガンプラに遭遇してしまった。
1000円前後のキットを買うべきか、買わないでおくかで数十分悩んだのだった。

結局今回は買いませんでした。もう少し上記ブログで工具等を研究してから、改めてガンプラの買い出しに行こうと思うのです。
私が小学生の頃、ガンプラってのはなかなか買えませんでしたねぇ。今は良い世の中になったものです(涙)。

プリンタ、謎の便秘

カテゴリ:

本日、私の隣の席に座っている先生が言った「そのプリンタって使えるの?」
プリンタ近くに居た先生が答えた「もうだいぶ前から使えてますよ」

「そのプリンタ」とは、職員室に2台ある共用レーザープリンタの1つである。
夏休みの終わり頃「2台あるプリンタのうち、1台では印刷できない」という訴えを聞いてはいた。(私は校内で情報処理部に属していたりするのです)


どういう具合か知らないが、ここ数年、プリンタに送信するとエラーになってしまい、印刷が完了できないファイルを作成される方々がいらっしゃる。使用しているアプリケーションは一太郎の場合もあれば、ワードの場合もあり、エクセルの場合もあった気がする。
その方々がアプリケーションを利用して「印刷」を行う。使用中のパソコンからネットワーク経由でプリンタにジョブが送信されるのだが、何故かエラーになってしまうのだ。そして、そのジョブが詰まってしまう。
「プリントが完了できないファイル」を作成された方は、何度も同じファイルの印刷命令を出したりする。当然、エラーは積み重なっていく。拙いのは、その状態のプリンタに「エラーにならないジョブ」を送信なさる方がいるコトだ、それも繰り返し。そして、印刷されないジョブがどんどん溜まっていく。

印刷の命令を出して、印刷が行われない場合、パソコン(Windows系)にそれなりに詳しいヒトは「タスクバーのインジケータ(普通は画面の一番右下)でプリンタのアイコンを確認」するか、「(スタートメニューから現れるコトが多い)コントロールパネルからプリンタの状態をチェック」するだろう。

しかし、パソコンに疎い方々は、印刷が行われないと「おかしいなぁ」ってコトで、そのジョブを連続送信してしまう傾向がある。パソコンの操作に於いて、「うまく動かないので、何度も同じコトを繰り返す」ってのは、「無意味な行動」だと思うのだが、そういう認識はお持ちでないらしい。

で、エラーとなったジョブの削除が行われてしまったりすると、当然のことながら「エラーにならなかった、渋滞していたジョブ」が次々とプリンタから吐き出されるのだ。「長い便秘後の下痢」って感じである。私は基本的に便秘にはならない人間である、余談だが。
これまで、どれくらい無駄に印刷された紙を引き取ったことだろう。裏側をリソグラフの印刷に用いたりするのだが、なかなか使いきれるものではない。


で、話は戻る。夏休み終わりに「プリンタ不調」の報を聞き、私は「また、誰かが変なファイルを送り続けているんだろう」って解釈していた。「もう1台は使えるらしいから良いだろう」とも思ってた。
その数日後、私もプリンタを使う必要があり、印刷の命令をネットワーク上の問題(?)のプリンタに送った。プリントされなかった。


コントロールパネルからプリンタを調べてみても、ジョブはきちんと消化されている様子だった。プリンタの状態も正常のようである。いったいどこにデータが消えてしまったのだろうかと、数分間(だったかな?)プリンタを観察してみた。
最初に、プリンタ裏側の小型プリントサーバーのアクセスランプが点灯していないことに気付いた。そして結局のトコロ、プリンタの上流に存在するスイッチングハブが動作していないことが判明したのだった。そのハブはACアダプタで電源を取っているのだが、何故だかACアダプタがコンセントから抜けていたのだ。そして、身代わりなのか何なのか、誰の物とも知れぬケータイの充電アダプタが刺さっていた。


「問題は単純なところから発生する」というコトを、身をもって知った夏の日であった。
私のプリンタ問題解決は数日前だったのだが、冒頭の発言は本日行われたものだった。「近くにあるプリンタは、ずーっと使えないものだ」って認識してたらしい。彼の中ではプリンタが使えないコトは「伝説化(?)」していたようである。

狭い日本...

カテゴリ:

世の中には嬉しいことや、腹立たしいことや、悲しいことや、面白いことがある。
ニュースなんかを見てると、色々腹立たしいことが多かったりするが、テレビの前で一人憤ってみても、特に何かが解決するわけでもない、当然のことだが。
というコトで、めちゃくちゃ身辺の話題を。


私は、ここのところ常々疑問に感じていることがある。
それは「電車の乗り降り、特に降りるトキ、やたらとヒトの背中を押してくる輩がいる」という現実だ。

少なくとも1週間に1回以上は遭遇しているだろう。今朝も新宿で山手線を降りる際、20代後半と思しき、全然麗しくないネーちゃんが、私の背中を押してきた。
彼女は、何だか急いでいるらしく、早足気味にホームを歩き、地下へ向かう階段の方へ移動していった。彼女のルックスが麗しくないことが分かったのは、ホームで私を追い抜いていったからだ。

混んでいる電車に乗り込むときに、押し合いへし合いになるのは仕方ない。通勤ラッシュは日本の名物である。しかし、私が電車に乗る時刻は、押し合いへし合いにはならない時刻だし、電車を降りる際にも普通に順序よく出口へ向かえばコトは済む状態だ。

オバサンに背中を押されることがある。オッサンもあるなぁ。しかし、私と同じかそれ以下の年齢の男性に背中を押されるコトは無かったような気がする。なお、傍若無人な私立・国立小学校のガキどもは別扱いとする。

空いている電車を降りるとき、何でヒトの背中を押す人がいるのだろう。押したところで、何かが解決するわけでもないのに。更にタチが悪いのは、ヒトを押しつつホームに降り立ったのに、歩くのがトロいオバハンだ。速く歩かないんだったら、ヒトを押してまでして急いで下車する必要ないじゃん。


まあ、もしかすると、トキには身内に出産間近の妊婦や危篤の老人を持つ人に遭遇しているのかも知れない。また、今朝の彼女は愛育病院への特別な出勤の途中だったのかも知れない。が、だいたいの場合、背中を押してくるネーちゃん・オバハン・オッサンは単なる出勤だったり、外出だったりするようである。
ヒトの背中を押したくなるほど急いでいるのだったら、もっと早く家を出てゆっくり交通機関を利用すれば良いのにと思う。そう伝えてあげたくなる。
しかし、ホーム上でそんな説教を展開するヒトは尋常ではないし、私は尋常なヒトであろうとしている。
で、結局のところ、このわけの分からない愚痴めいた文章を記して溜飲を下げたような気持ちになるのだった。

今朝の日経新聞読んでたら、めちゃめちゃ気になる記事を発見した。
で、先ほど Googleニュース で確認してみたら、該当の記事は1件しか見つからなかった。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060907AT3S0600Z06092006.html より

「うるう秒」廃止し「うるう時間」変更案が浮上

 地球の自転が24時間よりわずかに長いことから生じる時刻のズレを修正する「うるう秒」を廃止し「うるう時間」に変更する可能性が高まっている。国際電気通信連合(ITU)の作業部会で2007年9月にも合意し、正式決定を目指す。実施時期は10年以降になる見通しだ。

 世界の標準時間は精度の高い「原子時計」で決めているが、地球の自転は24時間よりわずかに長くなっているため差が生じてしまう。そこで「うるう秒」として標準時間に1秒を加えて調整することがある。06年1月1日にも午前9時前に「午前8時59分60秒」という時間を加え、7年ぶりに時計を1秒間遅らせる調整をした。1972年に「うるう秒」を設けて以来、これまで23回の調整をしている。 (07:00)

で、関連する記述は無いかとググってみたら、以下の記事を発見した。
「へスラー軌道」内の2005年7月31日の記事 「米国が閏秒廃止に向けて暗躍」

「閏秒(ウィキリン)」はここ30年のうちに20回程度挿入されているから、閏秒を1時間分(60×60=3600秒)集めるには、数千年という時間が必要なわけだ。地球がゆっくり回ることによって、日の出の時刻がじわじわ遅くなっていくよりは、律儀に閏秒を挿入していく方が良いと思う。明石市においては、太陽の南中とタモリさんの出現は正午ちょうどであるべきな気がする。特に根拠はないケド。


まあ、「協定世界時」をウィキペディアで見てみると、「国際度量衡局」というトコロが時刻の管理をしているようである。新聞記事にあった「国際電気通信連合」は関係無い団体なのだろう。だから、時報の時間はこれまで通り「うるう秒」が挿入され続けるんじゃないかな?

つまり、「世界時」「国際原子時」「協定世界時」「(パソコン等の)シリアル時間」等の様々な時間に加えて、「ITU 時間」が策定されるってコトに落ち着くんじゃないかと思う私である。
「ゾウの時間、ネズミの時間」ならぬ、「太陽の時間、原子の時間、時計の時間、電脳の時間、電気通信の時間」ってコトだ。

昨日、TBSは911テロの特番を見た。
以前に聞いていたような気はするが、改めて「へぇー」と思ったコトが2点ある。

その1: テロ以降、中東でのアメリカ軍の戦死者数が、アメリカ同時多発テロでの死者数を超えた。
その2: グラウンド・ゼロでは、死者がヒーローとして扱われている。

「その1」について。
米軍の死者が5000人を超えたとか何とか。5000人の死(一説には2006年8月時点で12000人超とも?)というのは、そう簡単に想像できない。怪我人の数はもっと多いわけだ。
5000円を使うのは楽だが、5000人が死ぬってのはどういうコトなのだろう。みんな死にたくなかったハズだ。まあ、他人を殺したいという願望を持ったヒトはそれなりに居たのだろう。そういうヒトは、殺されちゃっても仕方ないと思う。しかし、お金が無く、何とかしてアメリカの市民権を得ようとし、中東へ向かったヒトも居たのだろう。キビシイなあと思う。

「その2」について。
グラウンド・ゼロの映像が流れていた。特にナレーションやキャプションは無かったのだが、テロの被害者リストとなっている石版?には、確実に"Hero"の語句が彫り込んであった。テロの被害者達、全然ヒーローじゃないと思うんですよねぇ。


私がどうしても好きになれないフレーズに「罪のない市民」ってヤツがある。そのコトについては、"September 11th"の1か月後にも記している。


最近、酔っぱらい絡みの痛ましい事故報道が多い。橋の上で停車していたら、酔っぱらいの運転する車が突っ込んできて、車内の子供が被害を受けた、とか。この場合ならば、事故の被害者である子供を「罪のない子供」と呼んでも、「ほとんど」差し支えないと思う。

「因果応報」という言葉がある。あるいは「情けは人のためならず」って諺もある。自分の行いってのは必ず周囲に影響を与えるものだし、自分の周囲の現象ってのは、自分自身に何らかの原因があるのだと思います。
ヒトは結構弱いものです。長い人生、一時的には「因果応報」みたいな考えに凝り固まってしまうこともあるでしょう。その弱い心や不安に思う気持ちにつけ込んでいるのが「宗教」という存在なのだと思います。昨今流行の「スピリチュアルカウンセラー」みたいな輩も同じようなものでしょう。
現在は「古典的」と思われているような宗教、例えば三大宗教であっても、基本的には「ヒトの弱い心」につけ込んで発展してきたものであろうと思うのです。

べつに宗教論を打つのが目的ではなかった。


アメリカは世界中から搾取を行ってる。だから、アメリカに生まれたって段階で、そいつらは罪を背負っていると言えるはずです。ましてや、「ワールドトレードセンター」ですぜ。搾取の国の聖地じゃないですか。
そんな場所に勤務している段階で、立派に「罪」だと思うのですよ。
ってか、ヒトとして生まれるコト自体が罪深いとも言える。まあ、ヒトとして生まれるコトができたってのは素晴らしいとも言えるのだが。


文句ばかり言っているが、日本って国はアメリカ軍の世話になっているってのも確かでしょう。そんな私は働いては税金を支払い、税金を集めた日本って国は、せっせとアメリカドルを買い、アメリカの市民はせっせと借金を増やして優雅な生活を送っているのですねぇ。
現代社会に生きるというコトは難しい。

で、繰り返すが「罪のない市民」という三人称複数形(?)は存在しない。

龍井茶とアルファブロガー

カテゴリ:

最近、職場では龍井茶(ろんじんちゃ)を飲んでいる。

longjing.jpg

「ろんじんちゃ」を最初に意識して飲んだのは、自宅に放置してあった「五級品」であった。画像の茶と同じブランド、杭州獅峰茶叶有限公司の品である。
日本の茶は濾し器付き急須などで茶碗に注ぎ、そいつを頂く場合が多い。
中国では、容器に「お茶っ葉」を入れ、そこに水なり湯なりを注ぎ、放置した後にそのまま飲む場合が多い。私も中国式に、器に葉っぱを入れたらば、そこに湯を注いで飲んでいる。浮いている葉は、数分も経てばあらかた沈んでいく。それでも浮いている葉っぱに対しては、息を吹きかけるのである。口元から遠ざけ、飲み込まないように。
中国でタクシーに乗ると、ドライバーの座席の後ろには、ガラス容器やPETボトルを見ることが多い。そこには茶葉と水が入っているのである。
日本の茶はすぐに「出涸らし」になってしまうが、中国の茶は「粘り腰」である(らしい)。何度か湯を注ぎ足しても、それなりに味と香りが出てくる。

今飲んでいるのは「貳(2)級品」である。最初に飲んだ時は「さすがに五級とは違うわ!」って思った。特に香りが違う。しかし、最近は2級の味と香りにも慣れてしまった。
幸せを幸せと感じられなくなるのは悲しいことであるが、それがヒトの正常な感覚、つまりは「慣れ」というものなのだろう。


なお、龍井茶でググってみたら、私がお気に入りのブログ「極東ブログ」が、かなり先頭の方に現れた。
私の記憶が正しければ、finalvent さんが「アルファブロガー」に選出される前から、このブログの存在は知っていたのである。色々なことをググっていると、時々「極東ブログ」って文字列に遭遇する。私よりもお年を召した方のようであるが、かなり守備範囲の広い方であると思う。

で、今回「アルファブロガー」を紹介するページを改めて見てみた。面白い文章を書く方は、世の中にたくさん居るのだなぁって思った。

三楽病院・色覚外来レポート

カテゴリ:

https://ariori.com/khroma/20060915.html に「三楽病院・色覚外来レポート」を掲載しました。

昨年末にリリー・フランキーの『東京タワー』を読み、他の作品も読まねばならないと思った私だった。

で、今年の初めには『増量・誰も知らない名言集 イラスト入り』を購入したのだった。ずっと放置してあったそいつを読破したのは、7月頃だった気がする。

この本には、彼の身近な人々の発した「名言」が収まっている。出てくるのは「歴史上の人物」などでは無い。だから、本当に「誰も知らない名言」が収録されているのだ。その数40弱。

私が一番面白い「御言葉」だと思ったのは「次の日は苦い」というヤツである。
印象深い話はサンドイッチのヤツ。

リリー氏のイラストは面白い。しかし、そのイラストは「御言葉」を紹介している文章の途中に挟まれているため、そのオチに到達する前に、「ネタバレ」が起こってしまう場合があった。特にサンドイッチ話なんか。その点が少し残念だった。なので、この本を買うならば「イラスト抜き」バージョンの方が良いのかも知れない。


『東京タワー』は面白いが、何しろこの『誰も知らない名言集』も面白い。この本を電車の中で読むことはお薦めできない。笑いをこらえることができないだろうから。
なお、内容は「お下劣」とされるものが多いです。しかし、華麗な文体というか何というか、ほのかに笑わせる際の文章のひねり方が、常人には真似できない気がしました。何というか、普通の人は話を面白くするために捻る際、180度とか、360度とかの分量(?)を捻る気がするワケです。しかし、彼リリー・フランキーの場合は基本的に「4分の3捻り」くらいの感じがするのですね。
何しろ、スゴイ文章を書く人だなぁと思ったのでした。

また、機会があれば(読むべき本が無くなったら)、リリー氏の著作を読みたいと思うのでした。

今朝の通勤途上、JAGUAR(クルマです)を見た。
最近のジャガーは扁平タイヤを履いている場合が多い。昔のジャガーはサイドウォールが高く、そいつが印象的だった気がするのだが、最近のジャガーは普通?の扁平タイヤを履いていることが多いので、迫力に欠けているような気がするのだった。ま、刷り込みですけどね。

また、扁平タイヤというと、トヨタのハリアー(現レクサスRX)がそいつを履いているのを目にすることが度々ある。

扁平タイヤっていうと、昔はシャコタン(ウィキリン)八の字のソアラとかが装着していた印象が強いです。今もそういう車は絶滅危惧種として存在しているのかも知れないけど。
で、私はどうもその刷り込みがあって、「扁平タイヤってのは、オンロードでの走行性能を高める、あるいは、そう思わせるために存在するのだろう」って思っていたのですね。ハリアーって車は車高が高くてオフロード指向もありそうです。だから、扁平タイヤってのはあの車には似つかわしくないように感じていました。


で、本日改めてそのことを思い出し、検索してみて以下のサイトを発見しました。いろいろ新しい知見が得られました。
たいややもどき


そのサイトを見て、「シャコタン八の字」ってのは、車検を通す意味もあったんだろうなぁ、って気付きました。タイヤの上部がタイヤハウスに入っていれば、車検は通せるらしいですから。

また、そのサイトには「扁平タイヤはオフロードにも強い」との記述もありました。ただ、扁平タイヤは基本的に乗り心地は良くはならないでしょう。
ハリアーってクルマは車高が妙に高いから、ハンドリングなどは期待できない気がします。「巨大なクルマ好き」には魅力的なのかも知れませんが、あんまり私は魅力を感じないのですねぇ。全体のバランスが悪すぎる気がするのです。走行性能を考えたら、もっと車高が低い方が良いはずです。まあ、車高があってドライバーの視点が高くなる車の方が、運転はしやすいですけどね。


なお、現在の実家のクルマは日産の NOTE ってヤツなのですが、割と運転しやすいです。車高が高い頃のオデッセイ(平成ヒトケタ時代の発売)よりもコーナーリング等はキビキビしています。加速も悪くない。まあ、加速も安定性も値段も、オデッセイの前に実家にあった 180SX には負けますが。
180SX もオデッセイもノートも、みな純正のタイヤを使っていたはずです。上記サイトを見ると「タイヤは純正を使うべきなんだなぁ」って改めて思います。

容認されていた飲酒運転

カテゴリ:

昨日に続いてクルマ話。

最近は飲酒運転の取り締まりが厳しいらしい。
かなり昔、私が大学生のときだから、約15年ほど前。武蔵境の近くで飲酒の検問に遭遇したことがある。別に全然飲んでいなかったので問題はなかった。

それよりさらにちょっと昔、免許を取りたての頃、伊豆大島に行ってビビッたことがある。
何故、大島に行ったかというと、高校時代の友人が大島空港勤務だったのだ。彼の下宿を、高校時代の友人達で襲撃したのだった。彼は空港で通信関係のシゴトをしていた。まだ学生だった私たちは、夏休みに彼の働く大島を訪れたのだ。彼の働く昼間、私たちは彼の軽自動車を借りて大島を観光した。定員まで乗り、クーラーをかけながら伊豆大島の登山道を登ったりした。そして、妙にクルマの中が焦げ臭くなったりした。かなりビビッた。クーラーを切ったらきちんと道を登るコトを知った。
襲撃旅行最終日の前夜、彼の行きつけの店に連れて行ってもらった。伊豆大島では飲み屋にクルマで乗り付けるのが基本だと云うことを知った。23区内などでは考えられない文化であると思った。
あの晩が私にとって、初めてのウーロンハイ痛飲だった。ビールの後はひたすらウーロンハイを飲んだのだ。そして、友人の歌うカラオケは B'z の曲だった。彼の大島での友人達も集まっているようで、結構ボトルを空けたような気がする。
その後、酔った状態で車に乗り、椿がメインの暗い並木道の中、彼の家に向かったことが思い出される。

彼は転勤族である。また、私には伊豆大島に知りあいがいるわけでもない。だから、記憶の中の伊豆大島はこの10数年間「ウーロンハイと場末?のカラオケ屋と B'z の島(アシタバ付き)」のままなのだ。

飲酒文化で更にビビッたのは、筑波研究学園都市に行ったときだ。大学時代の友人が、筑波の大学院に進学していたのだ。私は大学を卒業して都内で非常勤講師をやってたハズ。
つくば市では、チェーン展開している居酒屋に駐車場が併設されていた。「駐車場のついた居酒屋」なんて、それまで見たことが無かった。まあ、23区内ではあり得ない話だろう。かなり衝撃を受けたのだった。
この話とは直接関係は無いが、彼は結構長い間付き合っていたカノジョと分かれた直後だった。その彼の家はカビ臭かった。かなり彼はきれい好きのヒトだったので驚いた。ヒトのココロというのは荒むときには荒むものなのだなぁって思ったとさ。


ああいった飲酒文化を持っている地域は、今どうなっているのだろうか?
あんまり変わっているとは思えない。そりゃあ、飲酒運転の発覚も減らないだろうという気がするのだった。
残念ながら、私は身近に駐車場付き居酒屋が無く、徒歩と電車で通勤でき、住居にクルマが無いので、飲酒運転を励行できる環境にない。

卒業式や入学式は「儀式」として、存在するべきだ。そして、その場には「日の丸」が掲げられ、「君が代」が歌われるべきだ。
この数日間、様々なサイトを見て、私の中の考えを整理した。そして、上の結論に達した。

私は以前にも日記で「君が代」について、思うことを記してきた。
2000年04月04日 君が代の「君」って誰
2005年11月24日 さざれいし

今回の日記を記すに当たり、まずは引用から。

下に示したのは、公立私立を問わず、学校を運営する際の指針となるであろう「学習指導要領」(文科省サイトへウィキリン)の一部である。

中学校学習指導要領(平成10年12月告示、15年12月一部改正)

第4章 特別活動

第1 目標
 望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団や社会の一員としてよりよい生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,人間としての生き方についての自覚を深め,自己を生かす能力を養う。

第3 指導計画の作成と内容の取扱い
3 入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。

高等学校学習指導要領(平成11年3月告示、14年5月、15年4月、15年12月 一部改正)

第4章 特別活動

第1 目標
 望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り,集団や社会の一員としてよりよい生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,人間としての在り方生き方についての自覚を深め,自己を生かす能力を養う。

第3 指導計画の作成と内容の取扱い
3 入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。

これを見る限り、以前の所沢高校のように「卒業を祝う会」があり、「卒業式」が無い学校が存在するというコト自体が不思議に思える。

そして、次のリンクを開くと、平成15年(2003年)10月23日に発せられた東京都教育委員会からのお達しを読める。

入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)

私は、差別主義者の石原慎太郎は嫌いだ。しかし、今回の「君が代訴訟」についての彼のコメントは適切だと考える。


私自身は小学校・中学校・高校・大学と「卒業式」に触れてきた。
果たして、私が卒業した都立小石川高校では、「国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚」してあったのか、また、「都旗を併せて掲揚」し、「国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚」してあったのかどうかは記憶にない。平成元年のコトだから、上に示した通達が発せられる前であるが。
校歌は歌われたはずだ。私は合唱部「音楽研究会」に属していたので、自分が当事者となっていない入学式や卒業式などでは、壇上で校歌を歌った(歌わされた?)記憶が残っている。しかし、「君が代」が歌われたかどうかについては記憶がない。なにしろ、卒業式は30分程度で終了してしまう、非常に簡素なものだったことは記憶している。


私は原理主義者である。「何事も法に則るべきである」という考えを持つ。
憲法等に基づいて行われた選挙の結果、今のイシハラシンタロウを始めとする、(特に好きでもない)政治家が君臨?している。しかし、彼は多数決によって選出された人物である。その意見を尊重するのが民主主義というものだろう。東京都という地方公共機関の一組織として「教育委員会」が存在している。それが3年前に命令を発した。
上記引用文や参照先サイトが存在する今、公僕である都立学校教員、公立小・中学校の教員はそれに従うべきであると考える。何しろ公務員である教員は、「税金のお流れ」を貰っている存在であることだし。

なお、当然のことながら、教員についても、日本国憲法第19条の「思想及び良心の自由」は尊重されるべきであろう。通達では「カタチ」について記してあるが、「ココロ」については一言も触れていない。場合によっては、ジャニーズ事務所のタレントみたいに口パクするとかもアリなのだろう。
以前の日記にあるように、私は「君が代」を歌う場合、基本的に「天皇のために」とか「お国のために」って思って歌っているわけではない。小学生の頃は、歌詞の意味すらあまり考えたことが無かった。
自分が所属してきた学校には、「強固なリベラル派の先生」が「居なかった」のだろう。だから、君が代を「歌い続けて来られた」。


「学校で君が代を歌う」=「戦争推進」っていうふうに、ハナシを短絡化させちまう教員や一部のマスコミ。それらの人々は「思考停止」しているとも言えるんじゃないだろうか。国際的なスポーツ大会では、立派に日の丸が掲げられ、君が代が流されてる。それを「けしからん」って明言している人物を見たこと無い。


君が代を歌いたくない公僕の方々やマスコミの方々に質問したいことがある。
「アナタはどんな結婚式を行いましたか?」って。

日本では、「神前式」で結婚式を挙げた方が多いだろう。
神前式ってのは、思いっきり日本古来の神に誓っているわけだろう。あんまりその仕草の意味も分からぬまま、「儀式」として和服を着たり、「三三九度」ってヤツをやったりしたのじゃないかな?
そんなヒトが「君が代歌うの反対」とか言ってるのだとしたら、矛盾も甚だしい。儀式として日本古来の神と接したことがあるのだから、儀式として君が代を歌うのも良かろう。「神前結婚式」に比べれば、ほとんどの「卒業式」なんて宗教色など無いに等しいだろうし。
結婚式以前に、ほとんどの日本人は「七五三」という儀式を経験しているだろうことも申し添える。

では、教会で結婚式を挙げたヒトなら良いのか?
日本では、何故か突然結婚式のときだけ「見知らぬイエスさま」に誓ったりなさる方が多い。にわか信者をやるってコトは、生まれながらのキリスト教信者を冒涜していると思うのだ。これはこの文章の本題からずれるけれど。で、そういう「にわか信者」って、それこそ「儀式として、あんまり意味も分からないまま、父と子と聖霊に誓」ったりしてるんじゃないかな?
それくらいに「宗教に寛容なヒト」だったら、「儀式として日の丸を飾り、儀式として君が代を歌う」のなんて、全然「やれるはず」だと思うのですよ。


何しろ、儀式は儀式として、見かけ上は厳粛にやっつけちまえば良いだろう。心の中は誰にも縛れないのだから。
この世の中は「儀式」だらけだ。「七五三」とか「成人式」とか「入社式」とか「結婚式」とか「葬式」とか。だったら、「儀式は儀式なのだ」って子供に伝えることは必要だろう。自分の思うところ、例えば「第二次世界大戦の前は不幸な時代で、日章旗や君が代の下に...」とかは、授業中などに披露すれば良かろう。そのセンセイが話す内容については、どこまでが許され、どこからがヤバいとかいった線引きは不可能だろうし。なにしろ、「思考停止」に陥って「通り一遍」の主張を展開するよりは、何事も自ら考えて授業を行うべきだと私は考える。

最近言われる「荒れる成人式」ってのは、「厳粛な卒業式」を知らない輩が増えたから起こっているのだと思うのだ。まあ、あれも一部のコトであり、マスコミが大げさに報道している面もあろうが。
なお、私は「成人式」には出ていない。その式に出る意味を見いだせなかったので。


昨日今日と、職場は文化祭だった。
昨日の開会式で、司会の生徒が「校歌を斉唱します」って言うべきトコロを「国歌を斉唱します」って言い間違えた。その後「校歌斉唱」だって言い直した。
なかなかタイムリーなギャグだと思った。そのギャグによって、静かになっていた体育館に生徒達のざわめきが起こっていた。司会をしていた本人はギャグでは無く、本気で言い間違えたのだろうけど。
私の隣にいらっしゃった先生は「今までで2番目に面白いギャグだった。一番はA先生のハナシだけど」っておっしゃってた。

A先生(現在は退職なさっている60代の先生)の伝説の講話が行われたのは、私が赴任する前だそうだ。スカート丈をどうしても上げたがる生徒がいるので、それを行わないよう諭すためだったそうだ。
生活指導主任だったA先生は、「スカートの裾を上げるために、ジャンパースカートのベルトをウエストの高い位置で締める生徒達」に対して、以下のように警告を発したそうだ。

「スカートのベルトを締める生徒がいる。そんなにベルトをきつく締めていると、腸捻転にぬぁる。  (数秒後) ...くぁも知れない。」

1000名を超える生徒が、1つの体育館の中で「どっかーん」って一斉に転けたということだ。全校一斉転倒。ただしココロの中だったらしいけど。

ここにあるのは2006年9月に書かれた日記です。

前のアーカイブは2006年8月です。

次のアーカイブは2006年10月です。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。