私、本年度は高校2年生のクラスを担任することになった。
今の職場に専任教諭として就職して、この4月で12年目となった。ずいぶん年を取ったものだ。最初の2年間は「副担任」というコトで、クラスの担任はしていなかった。その後は「高校1年→2年→3年のクラス担任」を3回繰り返した。割と順調な道のりだったと言えよう。今年は高校2年生の担任となり、入学式で担任として新入生を迎えることは無かった。3年間のうち、一番緊張するのが入学式である。こっちも向こうも勝手が分からないから、最初のうちは気詰まりな時間が流れることも多く、いろいろと大変なコトが多い。それに比較すると、入学してしばらく経過した生徒の相手をするほうが、いろいろと楽である面が多い。
本題に入ろう。
今年改めて感じたのは「授業の記録をパソコンに打ち込んでおくと、何かと便利であるなぁ」というコトである。
基本的に授業に向かう際には「前回どこまで授業をやった」というコトを書き込んでおくノートを持参する。「指導週案」という名称で売られているらしい「業界向け」ノートである。このノートが無いと、私は授業に行くのが不安になる。同じ内容の授業を3クラスとか4クラスとか担当している場合、どのクラスにどの授業を行ったのかが分からなくなってしまうからだ。古き佳き?先生方だとそういった「指導週案」などを持たずに、教科書1冊だけ持って授業に望む方もいらっしゃるのかも知れない。しかし、そういう方は多分絶滅寸前であるだろう。
私は高校のトキに、同じ先生から同じ内容の授業を繰り返して受けたことがあった。クラス内の誰も文句を言わず、指摘もしなかった記憶がある。この記憶は恐らく「模造記憶」ではないはずだ。今から思えば「こんな気合いの入っていない授業を、先生はやっていて良いのですか?!私たちは授業料を払っているのですよ」って刃向かっても良かったのだろう。昔の気概ある高校生ならば、そのようなこともあったのかも知れない。平成元年卒業の私たち、優等生なのか劣等生なのか分からないが、垂れ流される授業を聞いているだけだった。
今のハナシに戻ります。
一昨年の授業の記録(ワープロ「一太郎」で作成)を発掘してみたところ「そうか、そういえばこんなコトやってたカモ知れない」って思い出すことが多かったです。1時間ごとに記録を取ってあるので、それを踏襲するだけでも、それなりの授業は展開できそうな気がしてきました。新学期バタバタしていますが、だいぶ気持ちが楽になった。
数年間分の「板書のためのノート」は保存してあるのですが、1学期なり1年間なりを見通して考える場合、板書に使ったノートを見るだけでは全体像が見えません。また、実際に使用した手書きの「指導週案」は、B5版で厚さが1cm前後あり、保存性が良くない。
それに対して、パソコン内で記録を取った場合、後から閲覧するのも大変に楽です。昨年はエクセルで記録したため、そっちの方は更に使い勝手が良くなっています。まあ、実際は授業の記録を入力するのはそれなりに手間です。しかし、後からの再利用を考えた場合、手間をかけるに見合うだけの効果が得られる気がしました。昔に行った授業展開を推敲していけば、更に良い授業が展開されるハズです。