春分の日の決まり方 そこから派生する無常観 そして再生

春分の日・秋分の日はいつ、どうやって決まるのか。
これはやはり Wikipedia が詳しい。あるいは、国立天文台ですね。

何でこんなネタを記しているのかというと、2006年度の行事予定表の原稿作成を行っているからなのであります。
学校で一番重要な行事は卒業式でしょうか?その次は入学式かな?その他もろもろの行事を何月何日にするかは、学則・理事などからのトップダウン・職員会議などで決定されていくわけです。その原稿を作成する係を仰せつかっているのです。教務部の一分掌として。
このシゴトをするまでは、春分・秋分の日の決まり方を知りませんでしたね。

で、現時点では2007年の春分の日は決定されていないのですね。だから、行事予定表には「春分の日?」って入れています。


私は、誕生日とか新年のカウントダウンって、あんまり興味がないのですね。
厳密に言いますと、中学校くらいのときは友達と明治神宮に行ったりしました。カウントダウンしたり、賽銭を後頭部に受けまくったり。でも、天文学を勉強するにつれて「時刻というのは大した意味がないなぁ」って気付いていったのですね。仏教的な自然観を獲得していったと言うことでしょうか。
現在34歳でありますが、毎年毎年、誕生日まで生き長らえたことは感謝に値すると思うのです。しかし、老いることはあんまり嬉しくないような気も…


で、何でカウントダウンに興味が無くなったのか。
それは、「実感できないから」に他なりません。

地球の自転の速度、厳密には「太陽時」を測定し、その微妙な揺らぎも考慮に入れた上で、現在の時刻が決定されている事を知った私です。そして、地球はほとんど一定の速度で自転しながら、太陽の周りを微妙に速度を変えつつ公転しています。そして、ある決まった場所に来た時に「春分の日」や「元日」となるわけです。
しかし、よく考えてみてください。4年に1回閏年がやってくるワケですから、毎年毎年、元日0時0分0秒における公転軌道上の地球の位置は変動しているわけです。また、厳密に言うならば、午前0時というのは地球の反対側、兵庫県明石市の真裏に太陽が来ているだけであり、東京や大阪の真裏に太陽が来るタイミングからずれているわけです。
さらに突き詰めれば、太陽系自体も他の恒星から見れば相対的に移動していますし、銀河系自体も他の銀河から見れば相対的に移動しているわけです。そんなこんなで、時間の意味をどんどん突き詰めていきますと、「電光掲示板での新年カウントダウン」みたいな「ヒトのせせこましい営み」が空しいモノに思えてくるのですね。


私は「初日の出」はあんまり否定しません。地球が慣性に従って回転を続ける結果、東のhorizonから太陽が顔を出すわけです。こっちの方がありがたい気がする。実感がある。

ここにあるのは2005年11月25日 21:00の日記です。

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