そして恩師木村清志先生

「そうかぁ、僕は28歳で死んじゃうのかぁ」と、小学生の私は思ったわけですよ。ま、ココロの4分の1くらいは「死なないだろう」とも思っていたのかもしれないけれどね。で、28歳で死んでしまうという前提で人生設計を考えたわけであります。
28歳というと仕事に就いているだろうと考えたわけです。何かの職人になるとしても、28歳までの数年間ではたいした職人になれないまま地球の終末を迎えてしまうと考えました。また、仕事というのは究極的に他人を喜ばせ、笑い顔を見ることによって自分の満足が得られるものであろうとも考えたわけです。
小学生の私にとって、楽しいのは理科の勉強であるし、その楽しさを伝道できるなら素晴らしいだろうということで、「センセイという職業がいいかなぁ…」という結論に至ったのです。ま、教え子であるコドモも数年後には死んでしまうのだから、かなり虚しさがあるとも言えましょうが。
また、中学校のときの先生(木村清志センセイ)に高度な実験をやらせてもらえたというのも、理科がさらに好きになった理由に挙げられるでしょう。

ここにあるのは2005年6月21日 21:00の日記です。

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