21日
パリ最終日、荷物をスーツケースに詰めホテルを後にした私たち、最初の見学地はノートルダム大聖堂でした。大聖堂の内部には、ステンドグラス・壁画・彫刻がありますし、外壁も彫刻で装飾されていました。現地ガイドの方に教わって知ったのですが、あれらの装飾は教会を威厳づけるために存在しているわけでも、来たヒトを感動させようとしているわけでもないそうで、第一の目的は「文盲(もんもう)のヒトがキリストにまつわる物語を理解できるように」というコトなのだそうでした。ま、巨大な建築物ってのはそれだけで威圧されますし、見たときに感動を覚えるのは確かですが、寺院の基本は布教活動なのだなぁということを改めて認識しました。チナミに「ノートルダム(Notre-Dame)」ってのはフランス語で「私達の貴婦人」という意味で、英語なら「Our Lady」ってコトになるそうです。この「私たちの貴婦人」ってのは聖母マリアに与えられた称号なのだそうで。そんな感動的なノートルダムの周辺で、一番面白かったのは「怪しい日本語」でした。周囲の売店とかも含めて、看板とか庇とかには様々な言語で歓迎のコトバが書いてあるわけですよ。「Welcome」とか「Willkommen」とかね。で、日本語はどうなっていたかというと「よこそう」なのですね。「ようこそ」って書きたかったと思うのですが、「よこそう」。で、その後よくよく考えたのでありますが、ヨーロッパ系言語を扱う人々にとっては「ヨーコソ」よりは「ヨコソー」のほうが言いやすいのでしょうねぇ。「ヨーコソ」でも「ヨコソー」でも日本のヒトなら意味は通じますから、ある程度日本語が喋れるヒトが自分の喋っている挨拶を「ひらがな化」すると「よこそう」になっちゃうのでしょうね。本日(5月25日)、「よこそう」をググってみたら、結構なヒット数がありました。そんなページの中には、ネイティブの日本語使いでないヒトが、完全に「ようこそ」と書き損なっていると見受けられるヤツもありました。結構奥が深いですねぇ。と、いうことで日本語ネイティブの私、「ようこそ」の語源を調べてみたところ、やはり予想は当たっておりました。「よく来そ」の音便形なのだそうで。なにしろメッセージは伝わればよいわけだから、「目くじら」立てる程でもねぇやな、ノートルダムの「よこそう」。シテ島周辺はバスを停められないそうでして、ラ・セーヌの周辺を散策し、パリ市街の小道を抜け、リュクサンブール公園まで市内見学の散歩を行いました。そんなのんびりとした時間のなか、朝食の際に水を飲みすぎた私は、散歩途中から尿意を催し、既に公園内では気もそぞろでありました。現地ガイドさんに有料トイレの場所を聞き、生徒を置き去りにして小走りで有料トイレに駆け込んだ私、チップを支払う余裕さえありませんでした。背後からは「ムシュー、ムシュー!」という管理人のおじいさんの声も聞こえたのですが、とりあえず便器へ。後から一応チップを払ったのですが、おじいさんの非常に冷たい視線が辛かったとデス。チップのお釣りもくれませんでした。チップ制トイレ(男性の定価は15ユーロセント)のお釣りはあるのかどうか判りません。それ一度しか使わなかったから。楽しく有意義な修学旅行引率だったのですが、その出来事さえ無ければ完璧だったのにねぇ。スイマセンでした、おじさん。リュクサンブール公園横でバスに拾われた私たちは、昼食場所のレストランまで移動しました。それまでは生徒が寝ようとも私自身はバス内では寝ないように心がけ、それを実践していたのですが、その日は気が付いたら生徒と一緒に眠っていました。そんなわけで、ガイドさんの声に起こされたトキ、バスは停まっていました。昼食後はモンマルトルへ。ムーランルージュ横を過ぎ、モンマルトルを登り始めました。振り返ってパリ中心部を眺めると、曇り空ではあったものの、その隙間から日差しがこぼれており、大変美しい光景でした。また、サクレクール寺院の中はとても綺麗で厳かな雰囲気でありました。私はそこで「キリスト教に感心する前に、自分と関わりが深い仏教をちゃんと勉強しなきゃなぁ」と思ったのでした。とか言って、今日『修学旅行のしおり』を見直すまでそういった決意をしていたことをすっかり忘れていました。あれから3ヶ月。中国近現代史の勉強はしたものの、仏教の勉強はしていませんですなぁ。モンマルトルには鳩や雀がそこそこ生息していました。私の見る限り、ドバトは日本もフランスも見栄えに差がないのですが、スズメのルックスは違ったように感じましたね。具体的に「どこがどう違う!」とは指摘できないのですけれど。で、例によってネット上の複数のページで調べてみたところ、都会に住むハトはヨーロッパでも日本でもほぼ同じ種だが、都会に住むスズメについてはヨーロッパと日本では種が違うというような記述をみることができました。(Wikipediaその他によると、ヨーロッパは「イエスズメ」で日本は「スズメ」だとか?)。自分の観察力をちょっと見直した、晴れた5月の午後なのです。話は戻ってパリへ。美しい風景と美しい寺院を見て何となく敬虔な気持ちを取り戻した私でしたが、もうパリともお別れなのでした。現地のガイドさんにはモンマルトルの麓にて、この旅で新しく覚えた別れの挨拶「オールボアー(正確には「オー ルヴォワール」みたいです)」で別れを告げました。そしてバスはシャルル・ド・ゴール空港へ。空港に着いたときは曇り空だった気がするのですが、出国手続きや買い物その他を終え、搭乗口近くへ行ったときには驚きましたね。何せガンガン雪が降っていましたから。と思ったらその直後に日差しが出現し、と思ったらまた雪が...。私は朝の天気予報(聞き取れないフランス語のテレビ)を思い出しました。太陽と雪のマークがほとんどフランス全土を覆っていたことを。「こんな天気予報、日本ではあまり見ないなぁ」と、記憶に残っていたのですねぇ。きちんと天気予報は当たっていました。あまりに雪が降ったため、飛行機の羽根にも雪が積もってしまったそうで、それを取り除く作業が入ったために飛行機の離陸が遅れました(確か30分間)。日本からパリまでインフルエンザウイルスを運んでしまった生徒がいた様子で、旅行中はクラス内で体調を崩す生徒が数名出たものの、とりあえず死ぬことも怪我することもありませんでした。で、参加者全員、無事に日本に帰ってきたとさ。おしまい。