2005年3月アーカイブ

パリ旅行記-2-

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18日(続き)
そしてベルサイユ宮殿へ。有名である(らしい)「鏡の間」は補修中で一部分しか見れませんでした。私が何よりもビビったのはその庭園の馬鹿デカさでしたね。日本式の庭園って、池とか石とか木の配置によって何か?が表現されているような感じがあり、十把一絡げに扱われる存在ってのは「砂利や苔」みたいな小物って感じがあるのですが、ベルサイユでは「高さ数mもある立派な樹木」が「十把一絡げ」に扱われていました。別の言い方をするならば、木々は「その他大勢の仲間の木々と共に、遠景として存在させられている高さ数mの生け垣の一部」となっていました。何しろ、池もデカかった。で、昼食後はオルセー美術館へ向かいました。ミレーとかモネとかマネとかゴッホとか、美術の教科書で見たような有名どころの絵が並んでいて、お買い得感?が感じられる見学場所でした。その美術館で一番印象的だったのは男子用小便器の位置の高さでした。日本の由緒正しき(短足)老人なんかだったりすると、便器の下端に尿排出部が届かないんじゃないかしら?日本でも時々、高い位置にある男子用小便器(もちろん、女子用便器を見る機会は基本的に無いのだけれど)を見ることがあるが、それはある程度意図的にデザインされている気がする。それに対して、オルセーの小便器は「素」で高い位置にあったような気がするのだな。ま、日本人に限らず、短足なヒトは大便用の便器を使用すれば良いのでしょうけれどね。でもそれじゃあ悔しい気もしますわなぁ...
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パリ旅行記-3-

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今回一緒に引率に行ったKセンセ、夜中の乾燥を避けようとしてバスタブにお湯を張り、トイレ兼バスルームのドアを開け放って眠りについたそうだ。私もその技をどこかで聞いたことがありましたので、同じく最初の晩は洗面台にお湯を張っておいたのです。使わない大量の水をバスタブに張ったりするのは申し訳ない気がするとともに「どうせ水は漏れてしまうだろう」とも予想していたから。その翌朝、予想通り私が使用した部屋の洗面台の水は流れ去っていましたが、予想以上にフランスのホテルは乾燥していましたね。洗面台とかバスタブってヤツは使用後にどうしても水滴がついてしまうのでありますが、前夜にシャワーを使用したにも関わらず、翌朝にはバスルーム内のすべての壁や床がきれいさっぱり乾いていました。日本ではあまり見ない光景ですわなぁ。で、当然の事ながらバスタブにお湯を張ったKセンセの場合も、バスタブはきれいさっぱり乾いていたそうです。おかしいのはそのセンセのハナシなのです。彼女は空になったバスタブを見て「まぁ!こんなに乾燥しているのかしら!?」って思ったそうなのだな。うーん、さすが。ま、その後には考え直して「水が漏れたのねぇ」と気づいたということも、彼女の名誉のために申し添えておきます。

パリ旅行記-4-

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19日
ケチくさい日本の旅館とは違って、泊まったホテルのテレビは無料だった。しかし、1つのチャンネルを除き、使用されている言語がことごとくフランス語だった。それはそれで異国情緒を感じられるというものかも知れないが、何しろ日本の様子が分からなかったのでありました。パリの朝は2日目だったのですが、自分にも英語教育が施されていたことを確認しましたね。前述の「1つのチャンネル」ってのはCNNでありました。フランス語はほぼ100%聞き取ることはできないのだけれど、CNN は若干聞き取れましたから。ま、大学を含めて8年間の英語教育は無駄ではなかったということですね、私においては。
私の担任している6組と行程が同じもう一つのクラスである4組、その日最初はルーブル美術館に向かいました。有名な地下1階の「逆ピラミッド」では、アヒルの腹を見ることができました。水鳥の腹を見る機会、普通の人にはありませんよねぇ。私もアヒルに関しては普通の人?なので、ガラス張りの天井を歩くアヒルさんがいてくれた今回、初めて水鳥の腹を見ることができました。アヒルとか鴨とかの歩く姿って笑えますよね。下から見た彼らの歩く姿は、なかなか面白いものでした。

パリ旅行記-5-

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世の中は4月にもなろうかというトコロなのであるが、私の日記は2月半ばなのだった。でも、まだ続く。

19日(続き)
ルーブル美術館は何しろ広かった。絵よりは彫刻の方が面白かったかしら。「モナ・リザ」を初めとした名作だらけで、ある意味疲れましたね。また、あまりにも有名なヤツが多すぎて、有難みに欠けるような気がしたッス。絵画よりは彫刻の方が面白かったですね。数百年~数千年昔のモノ達がちゃんと残っているってのは凄いことでございますな。で、ルーブル美術館ってところ、年令を証明できるもの(ま、普通はパスポートですな)を見せれば、18歳未満は入場無料だったりするらしい。で、現地のガイドさんに連れられてルーブル美術館を見学し「皆さん、解散しますから各自好きな場所に行くなり、買い物をするなりしてくださーい」って解き放たれたのは、ルーブル美術館出口改札?を出てからだったのだ。一応入り口改札?のヒトに「私は教員なのだが...」と(英語で)伝えたつもりであるものの、「ダメよ」と断られてしまったのだった。あれが今回の修学旅行で一番悲しい出来事だった。入場料払って再入場するのも癪だしねぇ。
昼食後、バスにてフォンテーヌブロー城へ移動した。今回の旅行で一番印象的だったのがこの「バスでの移動」である。前にも述べたが、フランスは畑のきれいなクニである。それを堪能できたのが高速道路でのバス移動だった。東京ってか首都圏ってのは人が住んでいない場所が無い位に家だらけじゃないですか。畑もあるにはあるが、税金対策風の小規模農園が多い気がする。また、そんな町中を走る日本の高速道路ですから、防音壁が道路の両側に屹立しており、当然景色はあんまり良いわけがない(そして馬鹿高い料金だ)。それに対して、パリってのはフランス最大の都市なのだそうだが、それでも人口は200万を超える程度なのだそうで。だから、高速を数十分も走れば周りには畑の広がる風景が出現するのだ。もちろん防音壁も存在しない。さらに「フランスだなぁ」と思ったのは、高速道路脇の道をロードレーサー集団が走っていたことだ。恐らく自転車チームのトレーニングだったのじゃないかしら?日本では集団チャリダーはほとんど見ませんわなぁ、趣味のサークルみたいなヤツですら。
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パリ旅行記-6-

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19日(続き)
フォンテーヌブローはこぢんまりとした城だった。といっても住居としては十分にデカいのですけれどね。クソ寒い中での見学だったが、綺麗な芝生が印象的でした。面白かったのは館内の壁でしたね。部分的には大理石が使ってあるのだが、その一部、というか大部分だったのだろうか?漆喰だかなんだかで作られた壁の上に、近くの大理石(マーブル)と同じに見えるようにペイントが施されていたのですな。一般人ではそのことに気付かずにフォンテーヌブロー城を去ってしまう可能性が高いだろう。たまたま?私は大学で岩石学を専攻したこともあって、石の模様が気になるのだ。そしてその「偽大理石」に気付いたのだ。チナミに大理石という名称は中国での産地、雲南省大理に由来するのだそうだよ。これを知ったのは数年前でありますが。
館内の見学後は庭園を見学しました。城の屋根の上かどこかでは、聞き慣れない声の鳥が鳴いていました。スパナで油の切れたナットを締め込んでいるような鳴き声でした。また、その庭園に生えている植物も日本のものとは明らかに違うものが多かったですね。しかしながら、私は理科教員ながら生物名にやたらと暗いため、どういった鳥や植物が生息していたのかはあんまり分かりませんでした。ホテルへ帰る途上の車窓では、雲間から差し込む日差しと緑色の畑、そして曇り空を背景にした葉を落とした木々が印象的でした。
ここ数回の日記群は修学旅行のしおりに書かれたメモ書きを元に文章を起こしているのです。例えば「蛍光灯パリは少ない」ってメモがあります。フランスに於いて、照明に使われているのは基本的に電球でした。更にメモ書きに「王制とチップ?」というのも残っているのです。が、私は何を考えていたのか忘れてしまいました。チップという風習について、旅行を一緒に引率した先生方とチップの由来について何かを考察したことまでは覚えているのですがねぇ。

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