ヒトの生きる理由

ヒトという生物は物事に境界線を引くために生きているのかも知れない。なんて最近考える。

例えば、動物と植物の境界線。それを生物学者が議論するのは一向に構わないのだが、結局のところその境界なんてのは科学が発達すればするほど曖昧になっているのでは無かろうか? 「気ちがい」って言葉はあんまり使わない方が良いらしいが、私自身は幼い頃に比べるとそういった精神状態に陥るヒトに対して理解を深めたように思う。というよりも、「正気」と「狂気」の境目は存在しないコトに気づいた、と言うべきか?
ブッシュというヒトを代表とするアメリカ合衆国というクニ、狂っているのか、正常なのか?この地上で何故か殺し合う生物の筆頭はヒトであろう。アメリカも日本も、せっせと武器を作っては、その消費地を探している。生物の最も重要な使命は「存在すること」である気がするのだが。
ブッシュ君たちはどういった基準で北朝鮮・イラン・イラクを仮想敵にしたのだろうか?どうやって境界線を引いたの?と思った。

文明や経済の仕組みを系統樹化してみると、結構面白いのではないかと思うのだが、どうなんでしょう?生物の系統樹ってのは必ず理科の資料集に存在するが、人口を考慮に入れた文明(とその社会システム:原始共産制とか資本主義制とか)の系統樹って作ってみたら面白いような気がする。

ここにあるのは2002年2月 4日 21:00の日記です。

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