情けは人の

「情けは人のためならず」というコトワザがある。「情け」なんて恩着せがましい気がする。「愛は人のためならず」だったらすこしは妥当な表現である気がする。

「アメリカは銃(武器)によって発展した国だから、その繁栄の結果としてテロを誘発する」のではないかと最近思う。戦い続けたツケがここへ来て反動(テロ)として現れているのであろう。「日本はメチャメチャ素晴らしい国である」という認識は無いが、私が生まれた国であり、仕方なく此処に生きている。かといって、別の場所で生きようと思ったりしたこともない。
アメリカのヒトの多くがテロリストに対して「戦おう」と思うことは仕方ないのかも知れないが、それの軍隊を支援すると公言する日本という国はどうなっていくのだろう?この国がイスラム原理主義者のテロルの標的になることは間違いないであろう。では、憲法九条に従って・・・と言っても、警察予備隊を作ろうかどうしようか?という現場にいたわけでもないですし。私は知らぬ間に米軍基地のある国に生まれたわけだし、問題は複雑で目を逸らしたくなってしまう。

「(日本の)若者は刹那主義的に過ぎる」という近年の指摘もあるが、あれは私に言わせれば「片腹痛い」。日本と云うクニについては政治家自ら刹那主義(国債・支援の乱発)に走っているではないか。「とりあえず」私は存在する。

ここにあるのは2001年9月26日 21:00の日記です。

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