涙についての告白

無事卒業式も終わり、私の身体の細胞の2割方が「真っ白な灰」となっているような気がしますが、日記を書けるくらいに恢復しました。
「男は人前では泣いてはいけない」と何となく思っているので、人前でモロに泣いた記憶があるのは数回です。

その1:小6のときの爺さんの葬儀(このときになんだか「泣くこと」の恥ずかしさを感じた気がする)
その2:1992年大学3年春休みの「伸歩会(歩いて旅するサークル)」の合宿最終日前日(その前数ヶ月壊れかけていて、そのとき何故か「真っ白な灰」となってしまい、その後数ヶ月壊れていた。恢復中に錯乱気味で迎えた中学校教育実習では評価「C」を頂いた。)
その3:昨年の夏、ソフトボール部の3年生の引退時(不覚にも久々に泣いてしまった)

そして今回の卒業式なのです。
素晴らしい「送辞」「答辞」を聞くうちにこの3年間の様々なことが思い出され泣けてきたのですが、涙も収まりかけ「蛍の光」を歌っている途中に、昨年の春死んでしまった高校の同級生を不意に思いだし、「(自分たちが高校を卒業した)11年前にいた、あいつはもう居ないのだ。」と再確認し、ついでに泣いてしまったのであります。私の涙自体は外から見れば、どの滴も変わらなく見えるでありましょうが、卒業生のみなさんや保護者の方々や、死んだセリザワにも悪い気がしたので告白しておきます、なんとなく。

ここにあるのは2000年3月 9日 21:00の日記です。

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