先日、リアル「コンクラーベ」が行われ、新しい教皇が決まったらしい。私は無神論者、厳密には汎神論者であるので、劇的に興味があるわけではない。とは言え、それなりには興味を持っていた。

ちょうど(?)日本では、映画"Conclave(邦題『教皇選挙』)"が上映されている。今は割と混んでいるとか?
たまたま、私(と家族)は3月末に自宅にほど近いシネコンで、その『教皇選挙』を見てきた。割と面白かった。昔から、あまり私は映画を見る趣味は無いのだが、家族がU-NEXTに課金している関係で「映画チケットに換えられるポイント」が増えていく。それを時々消費するために映画館へ。『教皇選挙』の前には日比谷に『ラストマイル』を見に行った。そちらも面白かった。2つの映画の毛色はかなり異なるが。

コンクラーベが実際に行われるというシスティーナ礼拝堂は、5年半前に修学旅行の引率で訪れたことがある。その一度しか、イタリア(とバチカン市国)には行ったことが無いが。
システィーナ礼拝堂内では、何となく写真は撮らなかった。記憶にしか残していない。「写真を撮る」ことは失礼にあたるような気がしたので。ま、「写真を撮ってはいけない」なんて、全然言われなかったけれど。
映画を見ていて「この場所に行ったっけなぁ...」って思っていた。

で、映画の感想。
キリスト教は懐が広いと思った、それに尽きる。言論・表現の自由が、西欧社会にはきちんと根付いているのだろうと感じた。キリスト教の深奥部が闇の中にあるからこそ、あの映画が作られたと言えるのかも知れないが。
あの映画について何か記すと、即座にネタバレになると思うので、それくらいしか感想を書けない。何しろ、なかなか考えさせられる映画であった。「考えさせられた」という点について言えば、『ラストマイル』も同じであるが。

『教皇選挙』と同じようなネタ?で、例えばイスラム教について物語を描いたとしたら、何かヤバいことが起こるのは間違いないだろう。仏教ならば、何も起こらないかな、多分。プーチン教(ロシア)やプーさん教(中国)もヤバかろうね。


イスラム教で思い出す、しかし今までずっと日記に書いてこなかった話がある。ま、日記に記す理由もなかったわけだが...
40年近く前、「つぼ八 新宿中央口店」でバイトをしていた。大学生の時だ。約1年間だったかな? もう少し短かったかも知れないが、半年以上は働いたはずだ。
私はホール係をしていた。今でもファミレスや居酒屋に行くと、「空いた器を下げない店員」が気になってしまうのである。「注文聞いたなら、手ぶらで帰るなよ...」と思ってしまうのだ、ええかなり本気で。
という話はどうでも良い。

そのつぼ八では、調理やドリンカーに、バングラデシュ出身の人が3名は居た。既に、結構長期にわたって出稼ぎに来ているという話だった。そのうちのお一方、たしか「カマリさん」と呼ばれていた方は、つぼ八という「日本式居酒屋」において、実質的に調理場のチーフをしていた。また、別の方は「イスラムさん」と呼ばれていた。本名がそうだったのか、仮名だったのか、よく分からない。基本的にドリンカーをやってくれていた。もう一方居た気がするが、よく覚えていない。ちなみに、そのつぼ八には中国からの留学生(?)も2人居た。お一方は揚げ場担当、もう一方は私と同じくホール担当だった。
で、一回だけ、1990年末だったと思うけど、居酒屋の営業を終えてから、かなりの人数で飲み屋に行った。多国籍部隊で、歌舞伎町の24時間営業のつぼ八(笑)へ乗り込んだのだった。全般的には酒豪が多かったように思う。よく考えると、自分は微妙に10代だったワケだが。ま、もっと若い酒豪(♀)もいたけどね、同じホール係で。
で、私の知識では「イスラム教徒は酒を飲まない」はずだったが、特にイスラムさんはガンガン酒を飲んでいた。「酒飲んで良いんですか?」と尋ねたが、彼は「問題ないデスよ」と。
そんな我々は深夜の歌舞伎町でジョッキを、あるいはピンクシャワシャワのグラスを空け続けた。

山手線の座席をめぐる斗い

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3月は朝の池袋駅にて。私の横の座席が空いた。2名の男性が空席に向かって突進してきた。その上でケツをぶつけ合っていた。で、負けた方が吠えた。「なんか文句あるかぁ!」
あんなに派手な「電車内での男性同士のドンケツ」は初めて目にした。
気持ち悪いので、そいつらには目を合わせずにおいた。都会人の嗜みである。
下車時、彼らを見てみた。そのダッシュ力から20代~40代だと思っていたが、予想に反して老いていた。どちらも70歳近そうだった。さすが「凶暴な団塊世代」であると感じた。そんなダッシュ力があるなら、座席に座る必要ないっしょ、って思ったさ。

同じ日の夕刻、またも山手線内で斗いに遭遇。
私からはすこし離れた場所に空席が発生した。そこに向かってダッシュする男子。10代後半~20代前半に見えた。彼はふた足遅かった。一足(ひとあし)どころではなく。
彼は「座りたいでーす」「疲れてまーす」って大声で宣伝しながら、別の車両に移動していった。コワ...
春が彼をそうさせたのか、それとも、そもそもあれが彼の日常なのか。

何にせよ、それも初めて見る風景だった。

natureのダイジェスト版に誤字

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日々誤字を見つけてしまう私です。
多分、前回の日記以降、ひと月のあいだに5つくらいは「名のあるサイト(主に東洋経済オンライン)」で誤字を見つけたのだけど、日記にしていない。

で、今回は表題のサイト(割と格式があると思う)で誤字(誤記述)を見つけたので披露する。
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もし、当サイトで誤字などがありまりましたならばら、こっそりと「うぇぶますたーあっとありおりどっとこむ(全角文字)」へお知らせくださいm(_ _)w

数年かかったが、概ね「先輩の遺産」を処分し終わった。
今回はこのような、概ね30年くらい前に発売されたパソコンソフト群を処分した。多分、一番古いのは「NEC 日本語MS-DOS 3.3」だろう。
すいません。さようなら。
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「Windows3.1」や「MS-DOS 6.2」のマニュアルは、自分も持っていたはずだ。で、何時だったか捨てた。
どうせ参照しないから。また、住居にスペースが無いから。本体の9821は現存してるけど。


JUSTSYSTEMSの「三四郎」が、最初は「三四六」だったとかいう話、Wikipediaか何かで読んだことがあったが、私はその現物を見たことがなかった。確かに「三四六」というディスクがあったりした。
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私が使った表計算ソフト、最初がDOS版「Lotus 1-2-3」だった。大学卒業直後に勤めた学校のデフォルトがそれだったから。で、現在の勤務先でWindows版の「Excel」に移行した。当時、1990年代の「ありがちなルート」であると思っている。「Excel」での「印刷レイアウトの簡単さ」には感動した記憶がある。ま、多分「Lotus」だって当時は画期的なソフトだったのでしょうけどね。
1990年代後半、NECの98シリーズ(のWindowsプリインストール版)には「一太郎・Lotusバンドル版」と「Word・Excelバンドル版」があったはず。

そんなワケ(?)でJUSTSYSTEMSの表計算は使おうとしたことは無い。当然データベースソフト「五郎」も存在を知っているだけで、使ったことがない。「Access」や「桐」は使ったけど。


私が最初に買った「一太郎」はVer.6であり、最初に(大学などで)使ったのはVer.3である。昔は「JSゴシック」ってフォントを使ってたかもしれないな、そういえば。
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今でも私は「一太郎」を使っている。「Word」は書式設定と表作成が直感的にできなくてね...


一番興味深いと思ったのが、「Excel」と「Word」のWindows3.0対応版である。使ったことが無いッス。
初期の「Word」の日本語変換は、「VJE(VJE-γ)」だったこと、初めて知った。以下はその「おまけ」の下敷きのスキャン。クリックすれば、拡大されます。2枚目、左上がボケてますね。
「VJE」も名前しか知らないですねぇ...
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過去の関連する日記
東洋経済オンライン、誤字多い(2024年7月)
桐ver.4の世界(2024年9月)

『東京Deep案内』は、無料の頃は読んでました。
基本的に有料化したので、読まなくなった。読まなくても死なないコトを知った。

何故、上記サイトを思い出したかというと、以下の記事(の4ページ)に孫引きの図があったからだ。

文京区立小学校の「3S1K」に中国人が殺到するワケ、彼らは中国に住んでいたときと同じ思考回路で動いている | 学校・受験 | 東洋経済オンライン

一応、画面キャプチャ(ひ孫引き)を2点。
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東京Deep案内の『東京タウンマトリックス』は素晴らしい。非の打ち所がない。
相当な観察力がないと、というか、言語化能力がないと、あの図は作れないと思った。今でもそう思っている。

3月内に記すつもりが、4月になってしまった。
この日記は別に「嘘」ではありません、念のため。

最近の日記はこちらで見られます。過去に書かれたものはアーカイブで見られます。