トップページ >> 色覚異常について >>

自覚したのは

2002/8/25 上梓

 他人との違いを意識したのは小学校1年の検査時でしたね。他のヒトは全部ほとんど(2008.1.22修正)のページを読めるらしいんですけど、私にはチンプンカンプンなページがいくつかかなり(2008.1.22修正)存在しました。それは「石原色覚異常検査表」ってヤツですね。このあいだ、その本を買ってみました。廉価版なのですけど、5700円也。高けー!
 小学1年生だった私、「へー、ボクって他のヒトと違うんだ」と思いました。悲しみとかは無かったですね、どちらかというと優越感がありました、覚えてます。変わった子供だったのかなぁ?変わった31歳オトコに育っているのは自覚してますけど。
 私はその時、茨城県は千代田村ってところに棲んでいたのですが、医者に連れて行かれた記憶は残ってませんね。親にも「小学校1年の時、眼科とか行った?」って尋ねたことはありませんけど。
 明確に色覚異常を自覚したのは、小学校4年時の検査です。東京に引っ越してきた直後なのかしら、学校でのテストに引っかかった(自分でも最初からテストをパスできないと思っていた)ので、豊島区は東長崎駅前の眼科医で「詳しめ」のテストを受けました。そのテストは「パネルD-15テスト」って呼ばれるらしいです。その名、つい最近知りました。色覚異常に関する本(4500円!)を買って読んだので。
 私は小学校を卒業する段階で、「明度・彩度・色相」は理解していましたね。また、「伴性遺伝」も。
 だから今の私があるのでしょう。その色相環のテスト「パネルD-15テスト」を受けたから「色」というものに興味を持ったのだし、色覚異常だったからこそ「遺伝」というものを意識したのです。「じっちゃん(母の父)」から受け継いでるんだねぇ、って言われた記憶があるような気がします。小学生の私は「百科事典マニア」になりました。ありおりはべり。
 その4500円の本を読んで知りました。1997年から小学校4年生の1回だけになったそうです、色覚検査。
 自分自身について、科学的に確認されるハンディキャップを負っている場合、それをさっさと知っておいた方が良い結果をもたらすと思います。数度にわたる色覚検査、受けたからこそ今の私があるのです、前述の通り。

 大学2年のあるとき、文化祭実行委員だった美術専攻の後輩から言われました。「小川先輩って、服の色使いがちょっと変わってますよね。」って。その言葉を聞いたとき、私は色あせた茶色のスリムジーンズに辛子色のコーデュロイのシャツを着てました。靴は何履いていたか忘れてますけど、恐らくコンパースのスニーカーであろうと思われます。
 軽い告白だったのでしょうけど、「そう?」とクールに答え、恋心をバッチリ無視した私でした。自惚れすぎ?