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私の考える理科教育の使命

1998年夏休みの宿題

 私にとって、理科は最も得意な教科である。理科の教師である以上、当たり前と言えば当たり前だ。では私にとって、苦手とする科目は何かというと、ズバリ数学である。この苦手意識は高校生になった頃から私の中に生まれたものである。私が理科を得意とする一方、数学を苦手とするようになったのは、授業の受け手側である私の意識・関心に違いがあったからだと思う。

 私は何故「自然科学」に心を惹かれたのか、自分なりに分析してきた。今のところ「『知る喜び』が得られるため」というのが最大の理由では無いかと思っている。小学校の頃から理科の授業は楽しみな授業であった。子供ながらに「なるほど、そういった仕組みなのか」と思う機会が他の教科に比べて多かったからだろう。

 ところで、最近では「多くの知識を一方的に教え込む」教育から「子供たちが自ら学び自ら考える」ことのできる教育を目指そうと言われている。私自身は「詰め込み教育」を受けた世代に当たるのかも知れないが、理科に関しては「押しつけられた・覚え込まされた」という感覚はない。やはり受け取る側が興味を持ってさえいれば、知識を与えられるのは悪くないことだと思う。その一方で他の教科では「何で、こんなこと覚えなきゃいけないの?」と思うことがあったのも確かだ。要は昔から言われるように「動機づけ」が最も大切なのだろう。

 現在、我々を取り巻く環境は、目に見える形・目に見えない形で厳しさを増している。我々人類の生活を豊かにするために発達してきた科学(特に化学)が、逆に多量のゴミ・オゾン層の破壊・環境ホルモンといったような、地球上のすべての生命を脅かすような問題を引き起こしている。このような時代、理科教育の役割は非常に重要だろう。「研究室内での理科のための理科教育」ではなく、「生活に根付いた、未来を視野に入れた理科教育」を目指したい。

 余談だが、教師になって、生徒から数学の質問をされることがある。今になってみる(受験を離れてみる)と「結構、数学も面白いな」と感ずる自分に気付く。しかし理科にはかなわないが。